アルベール・カミュ 反抗的人間
May 24, 2020 ;
アルベール・カミュ;
反抗的人間;
誠に真理は時の娘である。詩的な言語で書かれた思想評論であり、予言の書というべきであろう。冒頭と、主としてマルクス主義批判に充てられた最後の部分を読む。
ギリシャ的・地中海的な自然と人間の営みに根ざした「正午の思想」は、過激を忌み、中庸を求めつつ、人間を取り巻く不条理に抵抗し、一歩ずつ進む。
不条理が革命によって一挙に消え去って、千年王国が生まれることを夢み、その目的に向かって暴力的な手段をも厭わない、カミュによれば、このような思想は、ユダヤ・キリスト教的、ドイツ観念論的な、自由の王国へと向かう歴史の必然に対する信仰(メシアニズム)に基づくものである。
(なお、カミュは決定論を否定し、不確定性原理等をその根拠に挙げている。しかし、私見では、世界の無限の連続性とその不断の運動は、人間の活動にとって偶然を不可避のものとし、それゆえに、世界は開かれているのである。)
マルクス主義は、19世紀の産業資本主義の思想であり、かつ、経済的決定論であり、しかも、19世紀末から20世紀初頭にかけての時期においてすら、歴史に追い越されていた。マルクス・エンゲルスさえも、そのことを半ば認めざるを得なかった。モスクワが企図したマルクス・エンゲルス全集は、このためか、1935年に30巻余りを残して中断した(引用の際は、要確認)。
しかし、それにもかかわらず、マルクスは、マルクス主義者がほとんど参加しなかったパリ・コミューンを讃え(しかも、私見によれば、マルクスはその敗北の必然性を知りつつ、これを鼓舞して讃えた。マルクスの職業的「革命理論家」としての利害がそれを強いたのである)、そのユートピア的労働者権力の幻影は、レーニンの下で連合主義的幻想を振りまきながら自由な選挙に基づく議会をも破壊した。そして、レーニンの国家と革命は、はるかかなたの未来に到来するであろう高度な共産主義に至るまでの間の、帝国的・暴力的な抑圧と搾取を正当なものとして承認するのである。
これらの評価は、ベルンシュタイン、ポパーらの批判と軌を一にする。革命は、革命前夜の破局を求める。
労働時間の短縮を勝ち取ったのは、革命を、すなわち独裁を求める者たちではなく、革命的な組合主義の運動であった。
カミュ・サルトル論争の詳細は知らないが、歴史はカミュの正しさを証明したというべきであろう。
本書は、1949年から執筆され、1951年に出版された。カミュの思想は、その輝きを増し、我々のゆくてを照らす。