アルトゥール・ローゼンベルク ボルシェヴィズムの歴史
..Date: Tue Sep 18 22:06:40 2007;
Arthur Rosenberg 野村修訳;ボルシェヴィズムの歴史;(著者名は「アルトゥーア・ローゼンベルク」と表示されている)
原著の初版は1932年にベルリンの出版社から刊行された。著者(1889-1943)は,改宗ユダヤ人の家に生まれ、ベルリン大学で学び,当初古代史を専門とした歴史家である。社会主義者・共産主義者として活動したが,1927年に党を離れ,教授及び著作に専念した。ナチス政権の成立とともにスイス,イギリス,次いでアメリカに亡命し,ニューヨークのブルックリン・カレッジで歴史を教えた後,1943年同地で客死した。
本書は,マルクスが自己を含む人間の解放のためにドイツにおける徹底した民主主義革命を望み,その原動力としてプロレタリアートを発見したこと(p.13),プロレタリアートの現状からの解放の必要性から出発したのではないこと,つまり徹底したプルジョア革命を当時遂行し得るのはブルジョアではなくプロレタリアートであるという認識から出発したこと,ロシア革命は1848年のドイツと同じような状況におけるブルジョア革命であり,レーニンもその経済綱領に国家資本主義を掲げていたこと,それにもかかわらず革命の熱狂とトロツキー的イデオロギーが社会主義への無謀な突撃をもたらし,経済を破綻させたこと,したがって,農民階級との同盟による民主主義にとどまらず,これを更に社会主義に進めようとするトロツキーは,西欧革命に期待せざるを得なかったこと,レーニンもまたこれに引きずられ,永続革命に与したが,1921年NEPへの政策転換とともに,一国社会主義の確立に転換したこと,その後のコミンテルンの指導は,ソビエト一国社会主義の維持のために他国の革命運動を従属させるものであったこと,社会経済状態から必然的であった民主主義革命の限界を突破するために,党の独裁が打ち立てられ,「ソビエト民主主義」は,共産党独裁の民主主義的外被となったこと,これらを述べる。
なお,祖国防衛に関し,戦争という歴史的必然を倫理的に非難し,これによって政策を決定することを批判し,レーニンの「戦争を内乱へ」のスローガンは,権力奪取の意思と能力を持つ政党の現実的政策であったことを指摘する(逆にその意思も能力もない政党が一民族の敗北による隷属を犠牲にして,戦争への倫理的非難によって平和主義政策を決定することの愚かさを指摘する。)。
著者は,人民革命を目指す原マルクス主義(1),修正主義(2A),修正主義と空論的急進主義の結合(2B),権力奪取を目指す社会主義(3),空想的社会主義の4分類を立てて,論を進める。ヴァイマル共和国史やヴァイマル共和国成立史のように,「この政党は(この集団は)こうすべきであった」という批評はあまり見られない。それだけに事態の必然が胸に迫ってくるかのようだ。このようにしか歴史はあり得なかったのだと。
著者は,レーニンを高く評価しすぎている。本書が書かれた時代の制約というべきであろう。レーニンは,西欧における経済社会の発展を遅れたロシアにおいて一挙に実現しようとした。あらゆる革命的な言辞の歴史的意味はこれに尽きるのではないだろうか。しかし,それは,「社会主義」というイデオロギーを解き放ったために,あるいは,農民階級を独裁の力によって抑圧することがいかにしても必要であったために,「党」の独裁により,残酷な「社会主義的原始蓄積」を強行するものでしかなかった。これが社会経済史的にみたロシア革命の意義ではないだろうか。
いずれにしても,本書は,なかなか複雑な内容を持ち,著者の多面的な思考をそのまま表している。それだけに内容は豊かなのだが,簡単に要約するには困難がある。
戦争と平和の問題についてツィンメルヴァルト派の状況を詳しく述べる(P.94)。『ローザ・ルクセンブルク』を著したフレーリッヒが登場するのが興味深い(p.96)。また,トロツキーとレーニンの間の労働組合論争についての論述も詳しい(p.175f)。