アルトゥール・ローゼンベルク ヴァイマル共和国史 Arthur Rosenberg, History of the Weimar Republic

目次

アルトゥール・ローゼンベルク 『ヴァイマル共和国史』

関連ノート、ワイマール共和国

..Date: Sun Sep 16 19:44:45 2007;Arthur Rosenberg;ヴァイマル共和国史;
#ヴァイマール共和国史 #ローゼンベルク

1918年11月から1933年までのドイツ史(ただし,後に付け加えられた部分をも含めて)。

ドイツの社会主義者が必要なときに統一して行動せず,かつ,必要なときに断固たる行動をとらなかったこと,「曖昧な気分的平和主義」にひたり,戦勝国の要求する過酷な賠償に効果的な反対運動を組織せず,右翼的民族主義の手に大衆の相当部分を追いやったことなどが指摘されている。

ブルジョア政治家としてはエルツベルガー,シュトレーゼマンが評価される。後者は,アメリカからの援助的投資を受け入れ,かつ,フランスとの関係を改善し,1923年から24年にかけての危機を乗り切って,共和国を安定させた。しかし,世界恐慌はこの安定を打ち砕き,23年当時(著者は,マルクス主義的な立場から23年には革命的な情勢があったという。)と同じく,社会民主党及び共産党が無力であったため(著者は,共産党が無力であった理由をスターリン主義下における消極主義,その後の社会民主党への見当違いの(主要打撃論を明示していない。)非難に求める),29年から33年までの革命的情勢の下において,右翼民族主義が勝利を収めた。

ヒトラーの独裁については,ブリューニング独裁以降の事態の必然的な展開を描く。ナチス党内の対立にも着目し,ナチス左派が34年に壊滅させられたことを指摘する。

一貫して,指摘されているのは,社会民主党(ノスケ国防相)が空想的社会主義者の鎮圧に国防軍・義勇軍を利用したこと,国防軍組織が(司法も同様である。最高検察庁,最高裁判所の「反革命的」行動が断罪されている。)手つかずで残され,これに代わる労働者軍が組織されなかったこと(ベルサイユ条約は,国軍を10万人規模に限定した。これにより,新軍事組織の創設は更に政治的に困難なものとなった。),これらにより,国防軍・大ブルジョア・大地主ブロックの支配が終始続いたことである。

壮大な悲劇が描かれる。社会民主党や共産党が権力を握る機会があったことが指摘されているが,しかし,彼らに有効な経済政策はあったのか。彼らが統治をなし得たのか。著者は,大土地所有(特に東部の)の解体,外国貿易の国家独占と主要産業・金融機関の国有化をすれば,支持を得られたであろうというが,これら政策を,内戦状態をもたらすことなく,あるいは,内戦に勝利して,遂行することが本当にできたのか。著者は,本当にそう信じているのか,疑問といわざるを得ない。

以下に注目点を挙げる。P.114: 気分的平和主義。マルクス,エンゲルス(戦争と「強力」について現実的に判断した),ベルンシュタイン(ドイツ帝国政府の戦争責任問題を公然と提起した)らの立場との比較。p.115:国旗問題に対する幼稚な対応(!)。P.245: 民族主義と社会主義の結合としてのナチス。p.246: ナチス内の対立と左派の粛清(1934年6月)。p.243、最終段落:1929年から33年までの革命的情勢下における社会主義的労働者の態度の批判。「絶望した大衆の先頭に立ち得なかった」それはそのとおりだろう。しかし,彼らに破局を打開する統治能力があったのか。おそらく,ケインズ的政策が系統的に実施されれば,事態が多少なりとも改善される状況にあったとは思われるが,それをなし得たのか。突撃隊的な実力もなく,かつ,体系的な政策も持たずに。陣地戦における反民主主義的要素の排除の可能性がどこにどのようにあり,どの部分で失敗したのか。

左翼政治家としては,パウル・レヴィ(Paul Levi)が評価される(p.236。コミンテルンと対立し,除名。)。ドイツ共産党の動きについては,P.219fが詳しい。なお,著者は,戦争の問題あるいは土地所有の問題等について,社会主義政党が国民的な立場に立つことの重要性を随所で指摘している。

巻末の訳者解説は,ローゼンベルクの思想と本書の意義を要領よくかつ客観的に述べており,文献の紹介も詳しい。

目次