ボリス・ブルツクス ロシア革命と農業政策 Boris Brutzkus, Russian Revolution and Agricultural Policies
森岡真史 ボリス・ブルツクスの生涯と思想 民衆の自由主義を求めて
October 25, 2020 ;
森岡真史; ボリス・ブルツクスの生涯と思想 民衆の自由主義を求めて;
Boris Brutzkus (or Brutskus)は、1874年にロシアのユダヤ人琥珀業者の家庭に3男として生まれ、ワルシャワ大学医学部に入学したが、中退して農業経済学を学んだ。当時ロシア知識人に大きな影響力を持っていたマルクス主義やナロードニキ主義には距離を置き、ロシアの課題を資本主義の発展と、これに伴う近代的・資本主義的自営農業の発展であると考えた。この観点から、ロシア的農業共同体の拘束力を弱め、市場的であって、自給自足的ではない合理的な農業経営に途を開くストルイピンの改革を、否定的側面を指摘しつつ、支持した。
革命後の独裁に抗して、法治及び民主主義の重要性を説いた。ネップ(NEP、新経済政策)期にエコノミスト誌にこれらを主張する論文を書き、農業経済に関する学会でも、その旨の発表を行った。
レーニンは、1922年3月、「戦闘的唯物論の意義について」において、エコノミスト誌を「現代の農奴制支持者の機関誌」と評価し、5月19日には、その関係者を国外追放にする準備を始めるように促す手紙をジェルジンスキーに送っている(手紙については、レーニン全集45巻721頁によって確認済み)。
ブルツクスは、その方針どおり、同年ドイツに追放され、ナチスの台頭に伴ってパレスチナに移り、ヘブライ大学に職を得、ナチスによるユダヤ人虐殺のさなか、1938年に死亡した。その間、強制的な農業集団化とこれに伴うクラーク絶滅運動による迫害への抗議を組織した。また、ハイエクらと交わった。
本書は、以上の、ブルツクスの生涯に関する部分と、ブルツクスの論文等の紹介に関する部分からなる。ブルツクスの、おそらくは世界で最も詳細な、著作目録が付されている。著作のほとんどはロシア語又はドイツ語によるものであり、その内容を紹介しているという点においても、本書の価値は高い。ブルツクスの入手可能な英文著作としては、Economic Planning in Soviet Russia (1935)がある。
森岡真史 国外追放直後の時期におけるブルツクスのロシア革命論(1922-24年)、立命館国際研究19-1, p.43(2006年)
October 21, 2020 ;
森岡真史; 国外追放直後の時期におけるブルツクスのロシア革命論(1922-24年)、立命館国際研究19-1, p.43(2006年);
ブルツクスの著作を整理したものとして、すばらしい論文である。
ブルツクスは農業経済学者であり、ネップ期に専門家として活躍したが、弾圧され、1922年に国外に追放された。ブルツクスの論旨は次のとおりである。
すなわち、もとよりロシアにおいて社会主義の可能性はない。農業については、西欧諸国の経験から独立自営農民による農業経営が資本主義的発展と両立するところ、ロシアの課題は、どのようにして合理的な独立自営農業を発展させるかであった。
ところが、ボリシェヴィキのみならず、社会革命党らの政党も農地の平等な再分割を政策に掲げ、その実現を目指し、大衆もこれに従った。これにより、資本主義的・合理的な農業経営は破壊され、農地の獲得のために都市から労働者が呼び戻され、工業の発展が妨げられるとともに、農業は自給自足的な遅れたものに引き戻された。これとともに、大量の耕作放棄地が生まれた。しかも、資本主義的・合理的な農業経営の破壊は、季節農業労働者の職を奪った。
ブルツクスによれば、これが戦時共産主義下における飢餓の原因であり、ソビエト政権による徴発は、その占める割合からして、比較的小さな一要因にすぎない。ブルツクスは、追放直後の時期は、ネップに希望を託していたようであるが、その後の強制的農業集団化により、その希望は潰えた。ブルツクスは、農産物の輸出による利益をも説き、外国貿易の独占を鋭く批判した。
さらに、ブルツクスは、市民的自由の基礎は私有財産にあることを主張したという。ロシア革命直後の状況を自ら経験した経済学者によるものとして、その議論は貴重である。今後研究の必要があるが、英語文献は数少ない。