パースの思想をめぐる論考を掲載する。
米盛裕二 パースの記号学
180128;
購入後長く読まないできたが、今回ほぼ通読し、名著と確信する。
パースの記号論及びプラクマティシズム(プラグマティズム、プラグマティシズムともに、パースの造語ではあるが、パースはさほど用いなかったという。また、後者は、前者の一般的使用による特別な含意を避け、パースの立場を厳密に主張するために用いられた)の全体像を明快に自らの言葉で提示している。単なる引用の羅列には終わっていない。
パースの記号論が我々の意識から独立に存在する実在を前提とし、かつ、人の認識活動によるその法則性の合理的探求の可能性及びその過程の社会性を主張するものであることがよく分かる。パースにとって、認識の真理性は、あくまでも実際的結果、すなわちpractical consequencesによって検証されるが、そのことは、象徴記号、すなわち論理的解釈内容、つまり一定の法則性の認識について妥当するのであり、ジェームズが主張するように個人にとって有用な結果が生まれることによって真理性が検証されるのではない。
後年のパースがヘーゲルに強く影響を受けていることも指摘されている。
本書は、それ自体がパースの思想の簡潔な要約であり、これを更に要約することは容易ではない。したがって、以下には、注目すべき点を事項として示す。
冒頭、記号過程が先行する記号過程を前提とせざるを得ないものであり、したがって、直観的・先験的・瞬間的な記号過程すなわち思考推論過程はあり得ないこと。実在論の採用(30、224)。記号過程と実際的結果(実践)(117)。第3次性(ヘーゲルの直接性、対立、媒介の3段階にも比すべき主張における媒介性)としての論証こそが実在であること(172)。ヘーゲルの端緒・進展・終局にも比すべき議論である。拡張的思惟としてのアブダクション(177、179、188)。アブダクションの構造(196)。ジェームズとの決定的差異(227,228、237)。
著者は、パースの翻訳を行っている。また、アブダクションに関する別の著書がある。
なお、ボパーの議論は、ほぼすべてパースが既に論じているとの指摘が引用されている。もっと早く読むべきだった。パース、Peirceは、1839-1914。数々の業績は死後明らかになった。貧窮のうちに死んだ。膨大な手稿はハーバードに保管されているが、いまだその全体が公表されるには至っていないという。
パース 連続性の哲学
180204;
因果律に関する論述を読む。完全に理解したわけではないが、エネルギー保存則に従う世界においては、運動の推移は、過去・現在両方向に規定的・決定的であり、それゆえ、時間的に先行する状態が後の状態を決定するという意味における通常の因果律が妥当しないと述べた上で、現実の世界は、偶然(これもランダム性の概念によって分析され、定義されている。一種のエントロピー論であろうか)の存在により、世界の運動は、不可逆的に、非保存的に進行すること、それゆえ、それが時間という形式によって認識されることを述べる。
また、空間については、事物の相互作用を認識する形式であると論じている。例えば、引力の強弱が遠近を決定しているのであり、遠近が独立に存在するわけではないということであろう。また、唯名論(nominalism)と実在論(realism)に関する議論では、パースは、実在論に立つ。その議論においては、実在論とは、実は存在の法則性を肯定する立場であることが明らかにされている(私見による解釈)。そして、実在の法則性を探究する科学は、個々の意識から独立した実在の在り方を探求し、相互の議論を経つつ、社会的に真理に到達する。ここには科学の社会性が明確に述べられている。
180204;
最後まで読むが、熱力学、カントール、リーマン、トポロジー等の知識を前提とする難解な内容であり、よく理解できない。
形而上学においては、実在論を支持し、かつ、宇宙自体の不可逆的で進化論的な変化の存在を主張する。宇宙の無限の多様性と永遠性を、これらの数学理論の仮定(パースによれば、数学は、仮定に基づく仮設的な体系を作り上げるものであり、それに対応する実在の存否は、別の問題である)を援用しつつ、論じ、宇宙自体の不可逆的進化を主張するものであろうか。
編訳者の伊藤邦武による解説は、パースの生涯を簡潔・明快に紹介している。伊藤には、パースの宇宙論に関する著作もある。パースが利用する数学理論も理解しているのだろうか。
Joseph Brent, Charles Sanders Peirce —A Life
180319;
パース(1839-1914)の伝記。書簡を中心としたものであり、その引用が大きな部分を占める。
著者の評価は、悲劇の天才という図式を免れていないように思われる。遂に安定した教授職を得られなかったことから、その人生は失敗であったと評価され、その原因は、天才にありがちな性格の偏りに求められる。確かに、浪費的、ダンディズム(その内実は今一つ明確を欠く)、気まぐれ、他者との協調性の欠如等、指摘されている性格はそのとおりであったのだろう。借金を重ね、晩年は窮乏して、友人の助力にすがった。その背景には、数学者で学界において成功した父の庇護、持病の神経痛、精神的な偏り(著者は躁鬱病と判断している)、失敗した一回目の結婚等がある。これもそのとおりであろう。しかし、パースが円満に教授職を務め上げることができたかは疑問であり、その文筆と時折の講演に支えられた生活は、パースの性格に最も適合し、それゆえにパースによる幾多の考察を生んだのではなかろうか。世間的な成功と失敗の評価の基準をこのような人物に当てはめることはできないのだ。
パースは、晩年自らをライプニッツやアリストテレスに擬したということだが、特にライプニッツの生涯は様々な点でパースのそれに類似しているように思われる。パースによる理論の発展の歴史については、エピソード的な記述があるものの、さほど詳しくはない。貴重なのは、パースの測地学、天文学(光度測定等)、取り分け振子の観測による地球重力の測定への貢献に関する記述であろう。
パースは、imaginationの欠如を自認していたとの指摘があるが、それはむしろ自己の省察がこれらの経験科学の探究に基づいていることを強調する言明ではなかろうか。パースは、神なき世界における運動とその認識の存在を徹底的に思索し、chance (probabilityではない)の介入による不可逆的・進化論的な運動の過程にある世界を構想した。産業革命時代のヘーゲルということができるかも知れない。ヘーゲルの観念論を真に転倒させた哲学者はパースであった。
いくつかの興味深い点:ジェームズは、パースの講演を理解できず、その出版を拒んだ。パースはプラグマティズムの提唱者とされながら、公表された論文においてその名称を用いておらず、むしろ、後年、ジェームズらのプラグマティズムと自らのそれが異なることを明確にするため、プラグマティシズムの用語を用いた。パース自身は実在論に立ち、意識から独立する事物の存在とその法則性を主張していたので、プラグマティズムの表面的な理解によって、真理性の基準が人の心理行動過程にあるかのように誤解されることを恐れたのであろう(その旨が本書においても示唆されているが、十分に展開されているとは言い難い)。
再婚した妻、ジュリエットの出自は今に至るも明らかではなく、本書でも、フランス語に堪能であったこと、カード占いをしていたことなどが記されているのみである。しかし、彼女は、パースの業績の重要性を理解しており、パースの膨大な原稿をハーバードに寄贈した。パースは家庭において少なくとも精神的な虐待傾向があったことが指摘されている。パースの文筆活動については、Monistへの寄稿等の哲学に関連するものを除き、詳しくは紹介されていない。その書評等の内容、傾向等も知りたいところである。パースは、誤謬が生産的なものであることを指摘した(237)。パースは、1892年に神秘的な力によって教会に導きいれられる経験をし、そのことを手紙に書いている(209)。この経験がパースの理論に影響を与えたことが指摘されているが、その詳細は明らかではない。
パース 論文集 世界の名著所収
180211;
冒頭2章を読む。
意識からは独立した実在の存在が、疑問のない仮説として科学の前提となっていること、各種概念はその結果から規定され、例えば、自然科学において用いられる力の概念は、(更には、意思の自由(これに対立する宿命論)の概念も。P.90)、そのもたらす(人の行動に関係する)効果(力のもたらす作用)から規定されること(以上いずれも私見による要約)を論じている。
また、科学的真理の探究が社会的な共同の作業であることも明確に指摘されている。
意思の自由に関する論述は、難解であり、注釈者は宿命論を否定していると解釈しているが、そうは思われない。意思の自由の有無の議論が、事実に関する科学的議論ではなく、現在の時点における帰責の当否という見地から論じられていること、すなわち、プラグマティズムの見地に立てば、その概念の意義は現時点における回顧的な帰責の当否にあることを分析的に論じているのだと思われる。このような解釈が正しいのかどうか、今後検証する必要があり、もし正しいとすれば、規範的抑止論を支持する重要な指摘ということになろう。
180311;ノート追加;
ここに示されているのは、考え抜かれた実在論、すなわち進化論的に不可逆的な運動の過程にある世界とその法則性の実在、実在の法則性の認識としての真理と、真理認識の過程的な性質、そして何よりも、真理の検証における実践の決定的役割、実践を含む認識過程の社会的・集団的な性質である。すなわち、それは、実在論に立つ実践の哲学なのであり、プラグマティズムの格率と呼ばれるものは、このような認識の過程的・実践的・社会集団的な性質を述べるものと言うことができる。したがって、その格率は、真理の基準を与えるものではない。あえて単純に言えば、真理に到達するための方法を示すものにとどまる。
この点において、パースと、そのエピゴーネンの「プラグマティズム」概念は、根本的に異なる。パースが「プラグマティシズム」の語を用いるようになったのは、この理由によるのであろう。
180330;ノート追加;
概念を明晰にする方法、直観主義の批判、人間記号論の試み、プラグマティズムとは何か、プラグマティシズムの問題点等。
ここに現れているのは、唯物論に立脚した思考と物質(外部世界)の統一的理解、人間生存とその思考の在り方を徹底的に考え抜いた結果である。その真理論は、実験科学の方法に大きく示唆されたものであり、実験(実践と広く理解することが可能であろう)のための仮説の形成、実験による当該仮説の検証、次の実験あるいは広く人の行動の基礎としてのある命題の採用という循環を社会的に反復することによって、誤謬をも経つつ、正確な認識に到達していく、その過程を重視するものである。
批判的常識主義との用語も用いられているが、ポパーのいう批判的合理主義との類似に驚く。パースによれば、カントの物自体は、人間の認識の彼方の存在を認める点において是認できない。認識できないものは、存在しないのである。
パースは、スコラ哲学における唯名論・実在論の論争については、実在論を支持する。人の意識に依存しない独立した外部世界の存在を認めると同時に、それが法則性を持ち、その法則性が思考において再現されることを論じる。思考は、情動をも含めて(例えば、怒りの情動は、自らを取り巻く環境が不快であるとの判断である)、記号を用いた、指示と推論の過程であり(それゆえ、思考は常に前の思考によって制約され、また、時間的延長を持つ)、推論は行動に用いられて、検証され、修正される。
パースによれば、ヘーゲルの壮大な体系の内容はともかく、その客観的観念論はパースの哲学とも共通である。しかし、ヘーゲルは、その概念の感覚的・実践的基礎を軽視した(パースがこのような表現を用いているわけではないが、そのように解釈される)。ヘーゲル哲学の転倒は、パースによって初めてなされたとも言える。
パースがいう推論の中で最も重要なのは、いわゆるabductionであり、大前提の後件の存在から前件を推定するという思考の働きである。この推論を演繹、帰納の両者に加えたものがパースにおける広い意味の推論であり、人の思考過程は、記号による推論過程と評価される。かくして、客観的な実在の運動過程と人の記号的推論過程が相互に作用しつつ、歴史を形成する。なお、このような世界の運動過程は、不可逆的で進化論的である。
この進化の在り方についてのパースの議論は、難解であり、十分に理解できない(偶然の役割が論じられている。しかし、一方で以前のノートにも記したとおり、因果律は肯定されている)。本能と呼ばれる現象に関する、今日の進化心理学的な分析もある。パースの哲学を唯物論やヘーゲル哲学との関連において論じることは、意義ある試みとなろう。
Introduction (Philip P. Wiener, Charles S. Peirce, Selected Writings (English Edition))
January 9, 2020 ;
イントロダクションを読んでの断想。
偶然性について。偶然は、不可避であり、その意味において必然的なものである。なぜか。偶然は外部の系あるいは同一系内の未知の要素によってもたらされるというのが、私見であった。
ところで、実在は時間的・空間的に無限であり、無限の多様性と変化を含む。人の認識がこれらの無限をすべて完全に知り尽くすこと(対象となる実在との間において実践を通じた相互作用を実現し、その法則性を認識する過程を完了すること)は不可能である。したがって、偶然性の介入は不可避である。
しかし、これは実在自体の「確率的」な決定を肯定するものではない。それは、認識の(あるいはそのために用いられる有限物としての媒介的実在と認識の対象となる実在の間の相互作用の)持つ限界なのである。
January 21, 2020 ;
パースの所説は、記号過程を伴う共同実践としての経験によって真理を認識していくことを主張する点において、記号的・共同的・実践的経験論と称することができよう。
パース Peirce; Synechism, Fallibilism, and Evolution, Philosophical Writings of Peirce
April 5, 2020 ;
シネキズムは、時空の無限の連続性を前提とする考え方をいう。
無限の連続性を前提とする限り、絶対的な法則性の認識は不可能である。しかし、我々の認識は、部分的、暫定的な因果的法則性(causation)を求め続ける。それは、シネキズムを前提とする限り、可謬的なものであり、したがって、Fallibilism、可謬主義が採用されなければならない。
そして、この連続体は、無限の過去から無限の未来に向けて進化発展する(grow)。この発展については、スペンサーの議論が参照されているが、著者は、スペンサーとはやや異なって、disformityからuniformityへ、すなわちrationalized varietyへ向かうものだと述べる。
時空連続体の進化的発展は、法則自体の変化を伴う。著者は、この論文に関する限り、chanceの語を用いつつも、それとシネキズムの関係を明示的に説明していない。しかし、人の実践に伴う認識活動が、無限の連続性の一部を切断し、その中における因果性を認識することであることを前提として、その認識された因果的法則性が、常に偶然性に、必然的に、さらされていることを主張しているものと思われる。
このような、偶然性の必然的介入については、私見として別のノートに記している。シネキズムの内容が、世界の法則自体の進化発展という考え方を除き、ほとんど私見と一致していることに驚く。また、著者は、シネキズムがfree willの問題に関係しないことを明確に述べている。人の意識も、その対象となる外部的実在と同様のシネキズム的実在として考察されている。ただし、人の意識については、chanceの介入が大きいことが示唆されている。
自由意思の問題に関する論述については、以上のように理解したが、あるいは誤りがあるかもしれない。今後、同じ著者の他の論文を読んで考える必要がある。なお、ダーウィン進化論における自然選択原理について、著者が「筆者は自然選択原理を十分なものとは考えていない」と述べている点が注目される。
パース The Law of Mind, Philosophical Writings of Peirce
April 7, 2020 ;
いわゆる心身問題を根源的に考え抜いた論文といえる。難解であり、かつ、無神論だとの誤解を避けるために殊更晦渋な言葉が用いられているように思えるが、パースの主張は次のようなものであろう。
すなわち、世界は無限の連続性であり、常に進化発展している。人の意識は、この世界の一部であり、連続性の中において過去及び外部からの不断の作用を受けながら、それ自身が世界とともに進化発展している。このような世界は習慣を獲得し、その習慣が法則であって、人の意識は、過去・現在・未来の連続の中でこの法則を反映した一定の習慣的感覚を受け取り、概念化する。それが世界の法則性の認識であるが、その法則性は、常に偶然すなわちchanceの介入を受けざるを得ない。つまり、人によって認識された法則性は、機械的であるという制限を必然的に伴う。シネキズム、タイキズム、チャンス等の概念が見事に統一的に論じられているというべきであろう。
意思の自由についての直接的な言及はないが、全体の趣旨から見て、いわゆる意思の自由には否定的であると考えることができる。自らの考え方を要約した部分では、実在論、realism、客観的観念論、objective idealism、並びにタイキズム、tychism、及びタイキズムと結びついた進化主義、evolutionismを自らの思想の3つの要素として挙げている(352)。
また、自らの思想を唯物論とは異なるものと主張しているが、「唯物論」として想定されているのは、機械的な唯物論であり、パースの思想がそれと異なるのは当然であって、むしろその内容からは究極の唯物論そのものというべきであろう。
パースのこのような論を読むと、パースの思想とヘーゲルの客観的観念論の関係がいかに深いかを思わざるを得ない。パースはヘーゲルについて論じていないのだろうか。なお、冒頭、自らがエマーソンらの神秘主義の雰囲気の中で育ったこと、しかし、自らは神秘主義をとらないこと、しかし、それにもかかわらず、深い部分で影響を受けていることを述べているのが興味深い。神秘主義の影響によって、根源的な問いを問い続けたということであろう。
有馬道子 パースの思想 記号論と認知言語学
March 28, 2020 ;
古書店で見かけて図書館から借りる。失望する。パースが記号過程としての人の生を解明しようとして苦闘したこと、この点を指摘するのはすばらしいが、パースの学説については、その中核をなす実践の概念の重要性を理解していないため、晩年のシネキズム(連続性)や偶然性の理論を著しく観念的に解釈し、真理の認識が自然と人が一体をなす世界から直観によって与えられるかのような論述に陥っている。
いわく、パースは、キリスト教と仏教を超えた真に宗教的なものに目覚めたのである。しかし、synechismやchanceも、世界の在り方に関する仮説であって、それらは、究極的には、連続的な世界の無限性、という仮説に基づくものと言うべきであろう。その仮説が妥当する世界では、人の認識と実践における「偶然性」は、不可避の必然なのである。
本書を飛ばし読みして、以上の点を明確に意識できた。なお、エントロピーをめぐる議論においても、このような無限性や偶然性が論じられ、「ゆらぎ」という概念が用いられているようである。この点に関する参考文献としては、Prigogine、清水博(生命と場所)等が挙げられている。読んでみること。なお、本書は、Brentに依拠した伝記的記述を含む。Brent書の要約として有用である。
April 10, 2022 ;
パースの思想と生涯を論じる第1章と前書き及び後書きを改めて読む。
シネキズムすなわち連続性の理論から、心身すなわち物質と精神の一体性を説き、一足飛びに禅におけるような「本能」あるいは「感情」による決断の意義を強調する。神秘的なパース思想像を提示するものと言えよう。
chanceについても、文字どおり偶然性が実在するとの解釈を示している。chanceについては、世界の連続性と無限性、その中における人の有限性と、人の認識の誤謬を通じた進行との関連の中で初めてその意義が明らかになるのではないだろうか。パースが偶然性を実在のものと考えていたとは、思われない。もっとも、晩年のパースがそのような神秘主義に到達したという可能性もないではない。
上山春平 世界の名著 パース ジェイムズ デューイ の冒頭の解説
December 17, 2020 ;
ジェイムズが、パースと異なり、ミルの唯名論と功利主義を高く評価したこと、ジェイムズには宗教経験の諸相と題する書があり、概念により把握される前の純粋な存在の経験について論じていること、これが西田幾多郎に影響を与えたこと、デューイがヘーゲルへの傾倒から立場を変え、プラグマティズムに移行したことなどが論じられている。
さらに、筆者の、およそ5百年を周期とする歴史の波動モデルに近い考え方をパースが示していることも指摘されている。また、パースがカントの純粋理性批判のカテゴリー論にあきたらず、論理学の研究を深める中で自己の思想を確立していったことが論じられている。この点は重要である。カントを読まなければならない。最後に読書案内があり、参考になる。パースのものでは、人間記号論が高く評価されている。
John P. Murphy, Pragmatism From Peirce to Davidson
December 10, 2022 ;
冒頭のパースに関する章のみを取りあえず読む。簡潔なすばらしい叙述である。
パースが、デカルトに代表される、内心の明証性に真理を見る思想(Cartesianism)を拒絶し、あくまでも実証に基づく(as an experimentalist)科学的な真理の探求を主張したこと、しかも、その探求が社会的になされることを指摘したこと、これらを明快に論じる。
私見では、カント哲学は、デカルトにつながるものであり、同様に拒絶されるべきものである。おそらく、それゆえにパースはヘーゲルの研究に向かった。直観による真理の把握を主張する立場、その否定が、あるべき哲学の出発点であろう。