E.H.カー 歴史とは何か Edward Hallett Carr, What is History

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E.H. カー 歴史とは何か

Edward Hallett Carr, What is History

September 24, 2022 ;
E.H.カー (1892年-1982年); 歴史とは何か 新版;

晩年のカーは、歴史とは何か、岩波新書、清水幾太郎訳の第2版を書こうとしていた。しかし、序文を書いたのみで(1982年以前に)、本文に関しては、資料とノートを残したにとどまった。

本書は、この序文と、R.W.デイヴィスによる、カーの草稿の梗概(歴史学方法論を中心とするもの)を収録するほか、カーの自叙伝を収めている。自叙伝は率直なものであり、ソヴィエト・ロシアに対する態度の変遷、一時ナチス・ドイツに対し宥和的であったことなどをありのまま述べている。

スターリン独裁に対する批判はあるが、結局は、マルクス主義の歴史観、少なくとも資本主義から社会主義への移行の必然性を信じることにおいては変化がなかった。しかし、それが「プロレタリアート」の力によることについては否定的である(その論理の詳細は、再度検討する必要がある)。さらに、ロシアにおけるプロレタリアートが少数派にとどまったことの指摘もある。

カーは、このような歴史観を容れないイギリス経験論全体を批判しさえする。誠に残念なことである。カーが決して哲学者ではないこと、方法論を徹底して考察していないことを物語るものといえよう。それはまた、そのユートピアに対する肯定的評価につながっている。行動の目的としてのユートピアということだろうか。しかし、一方でマルクスがユートピアの具体的内容を明らかにしていないとも指摘している。この点は注目に値する。

デイヴィスの梗概の中には、構造主義が共時的な構造の分析に傾き、通時的な変化の法則性の追求をおろそかにしているとの趣旨の批判がある。また、サルトルについては、その主意主義を批判している。いずれも、歴史における法則性、言い方を変えれば客観性を肯定する立場からのものと考えることができる(ただし、中途半端の感を免れない)。しかし、ポパーの反証可能性の理論については、歴史叙述に適用できないことを主張している。

なお、歴史における法則性に関連して、社会集団がその利害によって行動すること、個人はその中で、社会集団の行動を担うものとして登場することが様々な形で論じられていることが注目される。しかし、それでもなお、レーニンの早すぎる死がなければ、ソヴィエト・ロシアの工業化・農業集団化は、あのような暴力を伴わなかった、と主張するのである。スターリンを批判し、レーニンを救う、そしてマルクスは無傷である。しかし、著者のレーニンに対する余りにも好意的な評価を前提としてさえ、あくまでも仮定の話ではあるが、レーニンの早すぎる死がなくとも、スターリンらによってレーニンは孤立させられ、無力化され、あるいは密かに殺害されたであろう。そして、カーが肯定的に論じる遅れたロシアその他の国における社会主義は、(カーは、正当にも、それが資本主義を一気に跳び越える試みであることを指摘しているのであるが、) 原始的蓄積の一形態にすぎなかった。カーが新版の準備をしていた1982年ころの時代の制約により、カーにはいまだそれが明らかではなかったといえよう。

序文及び梗概の中で、カーは、歴史の進歩を否定する見解を強く批判し、それが没落する「エリート集団」に属する「知識人たち」の立場にすぎないことを論じている。ポストモダニズムの社会的基盤を指摘して批判するものと解することができるが、断片的にすぎ、明快ではない。オルテガの主張との関連を考える必要がある。芸術に関しては、それがその時の社会経済と必ずしも対応せず、ずれがあり得ることを指摘し、マルクスを引用している。

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