エリック・ホッファー 大衆運動 Eric Hoffer, The True Believer: Thoughts on the Nature of Mass Movements

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エリック・ホッファー 大衆運動

..Date: 2014.10.13;

エリック・ホッファー (1902年7月25日 – 1983年5月20日);

大衆運動,The True Believer: Thoughts on the Nature of Mass Movements (1951)
いくつか翻訳がある。

大衆運動の社会心理学的分析であり,宗教運動,ファシズム,共産主義,民族主義,更には日本の近代化等の,その目標のいかんにかかわらず,大衆を動員する運動が欲求不満により自己を傷つけられた人々(新たに貧困化した者,創造力を失った芸術家,不適応者等)に運動への参加による傷ついた自己の放棄と運動との一体化への熱狂を植え付け,これを動員するメカニズムを明らかにする。

ファシズムに関するエーリッヒ・フロムの分析(自由からの逃走)を大衆運動一般に拡大するとともに,ホッファー自身の豊かな経験と冷静な分析(トックヴィル等の引用)に基づく知見を加えて豊富化したものと評価できる。もっとも,フロムの引用はない。

大衆運動が家族等の既存の共同体を攻撃するという共通の性質を持っていること,強制及び相互の疑惑・監視の役割(しかも熱狂は継続する残虐行為を可能にする),言論人の役割(認められたい,地位を得たいという欲求を満たすことができない言論人は,現状を攻撃し,これが大衆運動を呼び起こす。このような言論人がいない場合,(言論人が官僚として一定の地位を得ている場合等。著者によれば,中国において革命的大衆運動が成功しなかったのは,知識人が官僚や宗教者として一定の地位を得ていたことによるという)現状に不満を持つ大衆が存在しても,大衆運動の条件に欠ける。この点は,トクヴィルのフランス革命論を解釈する上で,非常に有用な見解であろう。)等の指摘も興味深い。

しかし,このような大衆運動の社会心理学的メカニズムは,その社会経済的メカニズムによる被規定性を否定するものではなかろう。さらに、運動のイデオローグ及び指導者層とこれに従う大衆を区別する必要もあろう。社会経済的利益による被規定性の例を挙げれば,ロシア農民の利益を政治的に代表した社会革命党の左派とこれに従う農民層は,ボリシェビキの(虚偽ではあれ。なお,著者は,大衆運動の指導者に必要な資質として,虚偽の約束をする能力を挙げている)約束を信じ,それによる経済的利益を期待したからこそボリシェビキの支持に転じたのである。おそらく,社会経済的動因と社会心理学的動因の二つの次元の相互関係を分析することが必要なのであろう。

第4部の「発端から終焉まで」は,多分にこれを意識した分析のようにも思われる。社会の沈滞は,革命的大衆運動により打ち破られる(したがって,著者は大衆運動一般についてその有用性を否定するものではない)。問題は,その終息すなわち運動の制度化の内容いかんなのである。

独裁の下における強制と恐怖による運動の継続ではない,個人の自由の復活がどのようにもたらされるかが論じられる。指導者の資質(リンカーン,ガンディー,チャーチルらはこの資質を持っていた)とともに語られるのは,発端いかんであり,当初の運動の目的(例えばアメリカ独立運動における独立と自由)の記憶である。したがって,宗教運動等においては,このような終息はさほど期待できないことになる。

ホッファーの主張に従って大衆運動をその発端から要約すれば,それは,当初創造的言論人(植民地支配は,そのような被植民地知識人を生み出した。日本においても,外国の影響によりそのような知識人が生み出された)による現状の攻撃に始まり,多く非創造的芸術家から成る狂信者(トロツキーは,内戦の後,元来の創造性から狂信者的性質を失い,かつ,実際的活動家にもなることがなかった)によって指導され,熱狂的な運動の高まりを経て,実際的な活動家による制度化に終わる。

実際的な活動家は,個人的な名声と富を運動の中で求め,大衆は安定を得る。この制度化の内容いかんが大きな問題であることは,先に述べたとおりである。大衆運動の終焉とともに,個人の創造力が解放され実りをもたらす時代が来る(大衆運動は創造的活動を妨げる)。

箴言的な文章の積み重ねによる論述であり,その論理を再構成することは必ずしも容易ではないが,その価値はある。イスラム過激派のテロリズムの分析にも有効であろう。

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