フランス敗れたり France in 1940

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『フランス敗れたり』 1940年の敗北

アンドレ・モーロワ『フランス敗れたり』

1940年5月10日,ドイツは突如中立国ベルギーを侵略し,その南東部「アルデンヌの森」からマジノ線を迂回して易々とフランス国境を破り,6月14日には首都パリを陥落させた。フランスは,ドイツの圧倒的な軍事的優越の前にあっけないほど簡単に降伏し,国土の主要部分を占領され,わずかに,皮肉にも第1次世界大戦の英雄であったペタン元帥によるヴィシー親ドイツ傀儡政権の存続を許されたにすぎなかった。

原著はアメリカに逃れた著者によって1940年10月に刊行された。著者は作家であり,イギリス軍との間の連絡役に任じられていた(「英国陸軍参謀本部附のフランスの公式観戦連絡武官」であったというが,その地位・役割の詳細は明らかでない。イギリス軍の依頼によるという)。フランスの敗北の原因は,直接的には,戦争への準備の不足すなわち時を無為に過ごしたことであった。

戦車・航空機において,フランスはドイツに対して圧倒的に劣勢であり,イギリスも同様であった(チャーチルは1935年の時点で深刻な危機感を抱いており,著者に対してこの点をフランスにおいて執拗に宣伝するよう強く勧めたという)。このような準備不足の原因は更に次の点に求められる。すなわち,フランス社会は,左右両派はもとより、ドイツ寄りの政策を主張する者など,各種の勢力に分裂し,政治はその間において時々の世論に容易に左右された。国際連盟の平和維持機能への根拠のない過大な信頼、戦争への備えを後回しにした当面のつかの間の平和の追求(チェンバレンの宥和政策をフランス人の多くが絶賛した),ドイツの宣伝にも利用された反英主義(反面においてナチスの危険性・残虐性は過小評価された),マジノ線の防御力に対する過大評価,ドイツはベルギーの中立を侵さないという根拠のない信仰,国民の日常的利害にとらわれた政治によるドイツの急速な軍備拡張という眼の前の国際的現実の軽視,これらが当面する危機を直視することからフランスを遠ざけた。結局,フランス国民は自ら信じたいことを信じたのである。

また,ベルギー・北フランス侵略において,民衆が家屋を放棄して,我先に南に逃げたことが緒戦のあえない敗北の一原因として挙げられている。この教訓にかんがみ,イギリスは,ドイツの侵略に備え,あらかじめ逃走を禁止し,道路の機銃掃射もあり得ると布告したという。

イギリスにおけるチャーチルの登場について,著者は,イギリスの議会制度の伝統,すなわち政権党と野党が相互の信頼を前提として行動しており,危機に当たって容易に協力し得ること,そして,その背後には貴族制の伝統があることを指摘している。これによって,政治指導者が時々の世論に動かされず,むしろ,世論を導くことが可能になり,したがってまた,チャーチルが政権を握ることも可能になった。

中西輝政が解説を書く。現代日本との類似性を説くが,そのとおりであろう。本書は,日本でも直ちに翻訳書が刊行され,当時のベストセラーであった。

今後あり得る戦争はどのような帰趨をたどるのか。我々は何をなすべきなのか。

最後の部分に,著者自身のまとめたいくつかの教訓(「救済策」と題されている)が挙げられている。その一つは「強くなること ― 国民は祖国の自由の為にはいつでも死ねるだけの心構えがなければ,やがてその自由を失うであろう。」である。

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