ドイツ観念論をめぐって
山崎正一 西洋近世哲学史
January 14, 2024 ; 山崎正一(1912-);
西洋近世哲学史(2)(1962),(3)(1965)、岩波全書;
すばらしい。カントに始まるドイツ観念論からマルクス・エンゲルスへ、その流れを論じた書としては、他に比肩するものがない名著であろう。
哲学が人間の哲学である以上、哲学者をめぐる伝記的事実と歴史的状況を理解することが必要であると述べ、各哲学者について簡潔明快にこれらを記している。
18世紀から19世紀前半にかけてのドイツは、産業革命をいち早く成し遂げ世界に雄飛するイギリスと、フランス革命という大激動によって一挙に近代社会へと向かったフランスと異なり、封建的な領邦国家が分立し、プロテスタンティズムが重く覆う遅れた国であった。革命を成し遂げたフランスは、馬上の絶対精神であるナポレオンによりヨーロッパを席巻し、ドイツは敗北した。このような状況の下で、カントらはプロテスタンティズム特にその敬虔主義と妥協し、神の存在とその権威を承認しつつ、あるいは、これを正面から否定しないまま(カントは、その意図をあからさまに述べている)、ニュートン力学を始めとする近代科学、イギリス経験論、そして、フランス革命の思想を取り入れ、近代的市民の人間像を観念の上で実現することを迫られた。
その一つの頂点がカントであり、その哲学は、神の存在に関わる「物自体」の認識を彼方に置き、それを不可知とした上で、現象の世界における人間の認識と倫理の在り方を一種スコラ哲学的な方法によって構成した。直観によって人に与えられる悟性的認識の形相(形式)、例えばニュートン力学的空間と時間は、先験的に人に備わるものであり、それが現象(質料)を構成的に把握する。
認識論におけるこの「コペルニクス的転回」は、著者によれば、イギリス経験論の成果を(神の存在を否定し得ない状況の下で。すなわち徹底した経験論を採用することを避けるために)人の認識能力に置き換えたものである。
しかし、一方カントは、実践理性批判及び判断力批判において、物自体の世界が人の判断と行動を規律すべきことを論じることとなった。以降のドイツ観念論哲学は、このような物自体を彼岸に置くことの困難性の自覚によって発展し、フィヒテによる主観の拡張、シェリングの客観と主観の同一性を主張する汎神論的見解を経て、遂に、客観の具体的・概念的発展が精神すなわち神そのものであるとのヘーゲルの主張に到達した。
そして、このヘーゲル哲学は、上からの近代化を目指したプロシア国家の一翼を担うことを選んだドイツ中産階級の哲学となり、官許哲学として絶大な勢力を誇ることとなる。
著者によれば、このようなドイツ観念論の「逆立ち」は必然的なものであり、マルクス・エンゲルスは、フォイエルバッハによるヘーゲル哲学の唯物論的転倒を経て、さらにそれを徹底させたのである。マルクスをめぐる伝記的事実の叙述は、その追随者の賛美とは異なり、客観的・批判的である。マルクスが第1インターナショナルに君臨し、その狷介な性格と行動によって、見解を異にする者を悪罵し、追放したことが指摘されている。その頑固な性格は、革命の到来が間近に迫っているとの信念を貫かせた。これは、マルクスの単なる「性格」の問題ではなく、その職業革命理論家としての存在に、すなわちその利害に、規定されたものであろう。
おそらく、カントらに始まる、観念の上での革命、これによる現実の超克、逆立ちした革命は、マルクスにも引き継がれた。レーニンと同じく、マルクスは、後進国ドイツをイギリス・フランスと並ぶ先進国に一挙に飛躍させようとした。革命を担うべき「プロレタリアート」は、その手段として発見されたものであり、現実の労働者の現実的把握に基づくものではなかった。なお、本書には、弁証法をめぐる詳細な論述は見当たらない。
山崎正一 近代思想史論
January 25, 2024 ;
山崎正一; 近代思想史論; 1956年初版。1971年に第2版
『西洋近世哲学史』と重なる内容が多く、本書の中でも繰返しが多い。
いち早く市民革命と産業革命を成し遂げたイギリスの哲学、ロックの経験的な実践の哲学を近代市民層の哲学として高く評価し、カントに始まるドイツ観念論を、このようなロックらによって明らかにされ、またフランス革命によって高らかに宣言された近代的な市民像を、ドイツ社会を覆う神学的形而上学との妥協において、導入すること、これを目指すものであったと評価する。
そして、経験的な「連想心理学」としてのロックの経験論的認識論は、悟性が有する、直観的認識における「形相」の能力に置き換えられた。神学の領域を侵すことのないように、カントによって悟性的認識の彼方に置かれた「物自体」は、ヘーゲルによって「精神」の中に取り込まれ、人の概念的認識の最終的な姿にまで高められた。
このように「後進国」の哲学として発展したカント哲学及びその後のドイツ観念論を、合理主義哲学と経験論の総合などと称揚し、祭り上げる見解を著者は徹底的に批判する(116付近)。それは、同じく後進国に属する我が国の知識人が、その状況の類似性ゆえに惹かれたドイツ観念論及びその形式化・形而上学化を目指した新カント哲学のフィルターを通して西欧哲学を受容したことの結果でもあった。
そして、このようにしてドイツ観念論によって作り上げられた、観念の中の市民社会は、一面ではドイツ中産階級の政治的無力の心理的補償物であると同時に、現実社会への批判の契機を含むものであった。そこからマルクスの思想も生まれた。
西洋近世哲学史では、以上のようなドイツ思想史を踏まえて、その中から生まれたマルクス主義の観念性が正面から批判されていたが、本書には見当たらない。むしろ「社会主義」に対する安易な期待の表明とも思われる記述が目立つ(147付近)。
さらに、第7章以降の論述には失望せざるを得ない。お決まりの「近代合理主義の限界」が、戦争、核兵器、過剰生産その他のあらゆる不幸を招いていると論じ、主観と客観という思考形式を超えた思想が必要であることを示唆する。そんな不幸などはどの時代にもあったというのは、言い過ぎだろうか。人はその不条理の中で生き、「実践」し、「哲学」を構築した。「近代合理主義」も戦争と革命と貧困から無縁の世界で生まれたものではない。スピノザを見よ。
「近代合理主義の限界」なるものは、ルネサンス・イデオロギー(もちろん、それは西欧の経済的発展に伴うものであった)がその思想的支柱となった、自然と社会に対する自由な探求の一成果としての自然科学・技術の飛躍的な進歩が、戦争や貧困の問題を解決しなかったのみならず、生産力の革命的な増大に伴い、その規模を一層大きくしたこと(しかし、それでも世界人口は急速に増大した)、一方それが莫大な富を生み、オルテガのいう「大衆人」を大量に生み出したこと、この二つを主たる原因とした、知識人たちの「幻滅」と、その無力さの観念的補償の謂である。むしろ、人文・社会科学を中心とした新たなルネサンスこそが必要なのである。
著者も、マルクスらの思想について、それがルネサンスと「啓蒙」に連なるものであることを述べている。しかし、マルクスらの思想は観念論の残滓を致命的なまでにその身に負ったものであり、それゆえに一つの「ユートピア」を夢み、その反対物を地上に出現させた。すなわち、それは「近代合理主義」に対抗するポスト・モダニズムの先駆けにすぎなかった
なお、カント哲学の解説において「意志自由の要請」が大きな要素として挙げられているが、詳細が論じられていない。『カントの哲学』に論及があるのだろうか。また、マルクスの思想の受容に関して、「史観」を輸入したが、「唯物史観」を輸入しなかった旨を述べていることが注目される。これらの点を含め、決定論・非決定論については触れるところがないのも気になるところである。あるいは、主観・客観の対置の袋小路(157)なるものは、その議論が必要であることを示唆するものであろうか。「哲学者」たちが常に避け、その周囲をぐるぐると巡り歩いている問題、それがこの問題である。
山崎正一 カントの哲学
February 12, 2024 ;
山崎正一;
カントの哲学; 1957年刊行。
カント哲学の評価に関しては、これまで論じた著者の作品と変わるところがない。
もっとも、序文において、体系の研究に対置されるべきものとしての、「体系学的=方法論的」な研究を目指すことが明確に述べられていること、体系の形成史こそが、すなわち体系を生み出した「思想空間」との関係における体系の内容こそがまず解明されるべきであり、それによって、当該哲学の根本的意義、すなわち世界観・人生観、「人生と世界に対する見取図」(著者によれば、「人生の意義、世界の意義は、どのようなものであるか。このような問を問うこと、そしてそれに答えようとすること、」これが哲学の出発点である)が明らかになることが、高く宣言されていることが注目される。
カント哲学の内容については、既読の作品よりもはるかに詳細に論じられており、実践理性が「物自体」の世界、すなわち、叡智的な「自由」の世界を前提としたものであることが理解できる。現象の世界を先験的概念によって構成的に把握する悟性は、必然と自由の二律背反に直面するが、必然を現象に、自由を物自体の彼岸に振り分けることによって、両者は調停される。
「結論」においては、カント哲学を大陸の合理主義とイギリス経験論を総合したものと高く評価する立場を厳しく批判する。イギリス経験論は、人間活動の現実的把握に進み、社会科学を生み出した。遅れたドイツの哲学は、観念の上で、近代的市民像を「形相的」・スコラ学的に確定した。
また、「序論」においては、ドイツ観念論哲学が知能的技術者としてドイツ社会の上からの近代化に追随することを余儀なくされた中産階層知識人の需要に応えるものであったことが詳論されている。(「中産階層」の語は注において定義されている。)
なお、これまで疑問として挙げてきた「意志自由の要請」に関しても若干触れるところがあり、その論述からは、倫理的な主体としての人間を想定する上で、叡智的世界における自由が前提とならざるを得なかったこと、これを意味するものと理解される。
ちなみに、「近代西欧的」なるものに対する安易な批判が、萌芽的であるとはいえ、見られることは、他の作品と同じである。
中埜肇 方法論としてのヘーゲル哲学
January 15, 2024 ; 中埜肇;
方法論としてのヘーゲル哲学;
下記『弁証法 自由な思考のために』におけるヘーゲル弁証法の批判的検討とは異なり、本書は存在の弁証法をほぼそのまま祖述する内容となっている。東北アジア問題研究所における少人数の者に対する講義という性質に基づくものだろうか。はじめに、には、その趣旨をうかがわせる弁解を交えた記述がある。
もっとも、精神現象学が、抽象的なものから具体的なものへ、否定を媒介として認識が深まっていく過程を描いたものであること、大論理学が、存在論はすなわち論理学である、という前提の下に書かれていることを指摘している点は、参考になる。ヘーゲルの弁証法は、存在すなわち論理という見地から存在の弁証法を論じたものである。
しかし、存在の弁証法なるものは、諸連関と運動のうちにある世界を、我々の実践が、すなわち、そのときどき、その場における、具体的な実践系の中で、世界を切り取りつつ行われる人の活動が、身体活動に伴う認識活動により把握していく過程で生じる、仮象的なものにすぎない。この点こそが弁証法の神秘化に対する批判の要となるべきものであろう。
中埜肇 弁証法 自由な思考のために
December 1, 2020 ; 中埜肇;
弁証法 自由な思考のために;
弁証法の概念の多義性をまず指摘し、スピノザのすべての限定は否定であるとの言(146)から出発して、その限界を超える方法としての対話を説く。
著者によれば、弁証法とは一つの「方法」である。その見地から弁証法をめぐる哲学史が叙述される。
以下に注目すべき点を挙げることとする。
/52: 弁証法は矛盾律を否定するものと考えられてはならない。
50: 弁証法は、連続的な生成の思考である。この指摘は、パースの連続性とチャンスに関する議論に通じるものであろう。
54: 運動が矛盾律を破るとの議論に対する反論。
55、57、58、59: 弁証法的な飛躍(私見による要約)の神秘化に対する批判。弁証法は「思考方法」であること。
63: 論理学に基づく、例えば三段論法などの推論は、何かを新たに発見し、付け加えるものではないこと。パースに同じ。
64: 弁証法の根底にある自己否定性についての指摘。
106、107: 岩崎武雄を引用して、実在の弁証法と認識の弁証法の区別を述べ、著者の言う「哲学としての弁証法」が前者に、「思考方法としての弁証法」が後者に対応することを述べる。なお、この「思考方法としての弁証法」の必然性、実践・認識の限界との関係については、示唆的な記述があるが、深くは説明されていない。
113: 弁証法の概念がたどった古代・中世の歴史についての簡潔な要約。すなわち、「…もともと対話(討論・問答)から発した弁証法は、最初は一種の論証技術(ゼノン)や単なる実用技術(ソフィスト)であったが、それが真理探求の道として学問化(ソクラテス)された。ところがこの学問化がさらに進むなかで、弁証法は哲学そのもの(プラトン)となるという道とあくまで方法(アリストテレス)であろうとする道とに分れた。方法への道は弁証法を論理学の他の部門(たとえば分析論や詭弁術)から明確に区別する方向(アリストテレス)と、弁証法を論理学一般と同一視する方向(ストア)に分かれ、この二つの方向が相並んで中世に及んだ…。」
157: 思弁的「哲学者」としてのマルクス。「彼の理論は彼の哲学的な関心と人間の解放を志向する実践的な意志との結びつきから産み出された一種の思弁的<傍点>構成である…。」
164、165: マルクスの所説が、哲学者の終末論として、ヘーゲルの所説に類似すること。弁証法の神秘化。
166-: エンゲルスの弁証法学説が、実在の弁証法を主張するものなのか、認識の弁証法を主張するものなのか曖昧であること、しかし、後者としての、思考方法としての弁証法を論じていると考えられる部分があること。いずれにしても、自然に目を向けたことは評価されるべきこと。
ポパーへの言及もある。全体にわたって引用に関する注記が丁寧になされており、参考文献一覧が付されている。なお、三浦つとむの書より後に書かれたものであるが、三浦の弁証法はどういう科学かは全く引用されていない。