エルサレムのアイヒマン ― 悪の陳腐さについての報告 ハンナ・アーレント
..Date: 2014.05.05;ハンナ・アーレント;エルサレムのアイヒマン ― 悪の陳腐さについての報告;
すばらしい。飛ばし読みのつもりが、その根源的で透徹した思考に引き入れられ、最後まで精読してしまう。訳者も、「ラジカル」という言葉を思い出したと解説で述べているが、そのとおりであろう。それなりに読みやすいが(Amazonでは不評であるが)、ところどころ意味が分からないところがあり、誤訳があるものと思われる(例えば、210下段2行目は、if it were not for の構文を知らないための誤訳)。
この書の内容は実に豊富であり、簡単な要約は困難であるが、著者の関心を列挙すれば、次のようになるであろう。
すなわち、平凡な出世主義者にすぎないアイヒマンが、怪物ならざる人物が、どのようにして絶滅収容所へのユダヤ人の移送業務の責任者としてユダヤ人の大量虐殺という巨大な悪を実現させたのか、これが第一の関心である。ドイツの官僚機構は、ヒトラー独裁の下、その命じる「法」に従って、目的合理的に「職務」を果たした。非ナチス党員上級官僚(次官級にも多かったようだ)すらも、こぞってユダヤ人問題の「最終解決」のために組織を運営した。ドイツ国民の多くが絶滅政策を知っていたことも指摘されている。ヒトラー暗殺によるクーデター計画についても、著者は、これに関与した者たちの浅慮に批判的である。
その2は、各地のユダヤ人評議会がどのようにナチスの絶滅政策に協力したのか、それはなぜなのか、である。逃亡したユダヤ人の約半数は生き延びた。これに対し、絶滅収容所に送られた者のほとんどは殺害された。それでも、ユダヤ人指導者は、取引により指導的ユダヤ人を救ったことをもってその協力を正当化できるのか。彼らは、このような選別を行いつつ、移送や財産没収に協力した。(この指摘がこの書に対する反対プロパガンダを生んだ主たる原因である。)ユダヤ人警察がユダヤ人を拘束した。収容所で殺害に必要な役務を担当したのもユダヤ人であった。また、ユダヤ人の犯罪者は、多くの場合、このような役務に就かされた。
その3は、ドイツにおける責任追及の実態である。ドイツは反省した、ドイツの司法はナチスの影響を断ち切ったなどとだれが言えるのだろうか。この書には、そうではないことが例を挙げて明示されている。この戦争に関する重大な犯罪はニュールンベルグで裁かれたが、その他はドイツ国内裁判所によって裁かれ、驚くほど軽い刑が言い渡された。アイヒマン裁判が契機となって、新たに刑事責任が追及される動きが生じざるを得なかったほどである。
その4は、ドイツの同盟国あるいはドイツに降伏した国における絶滅政策への協力である。ヒトラーは、これらの国に最終解決を強力に働きかけた。フランスはこれに応じた。一方、デンマークは、拒否した。ブルガリアもユダヤ人を保護した。これらがその地のユダヤ人の行く末の明暗を分けたのである。
その5は、アイヒマンの拘束及び裁判の正当性である。アーレントは、法学の専門家でないにもかかわらず、驚くほど鋭い考察を加えている。本書は、一貫して、刑事裁判は、被告人の行為と責任を明らかにすることを目的とすべきことを主張し、その観点から、検察官に著しく批判的である。被告人に十分な反証の機会が与えられなかったことも指摘されている。イスラエルの管轄権についても、犯罪当時ユダヤ人国家がなく、それが後に生まれたこと、戦争犯罪が犯罪地で裁かれたことを考慮すると、一定の正当化が可能であるという。しかし、一方、ジェノサイドが国際社会の、人類の秩序に対する犯罪であることを指摘し、国際裁判所こそがふさわしかったと主張するのである(ヤスパースがこれを明確に主張した)。
なお、p198に原爆投下が戦争犯罪を構成すること、国際軍事法廷が勝者の法廷であり、二重の基準に従ったことが指摘されている。(ただし、科学技術の発達によりハーグ協定が時代遅れになったことも指摘されていることに注意。)
その6は、刑事責任の性質である。このような管轄権をめぐる議論及び国家機構の一員としての行為に対する責任の有無(国家行為や上官命令の弁解の検討)に関する議論を通じて、アーレントは、決定と自由の問題に直面せざるを得なかった。著者は、これを明示的に、明快に説いているわけではないが、刑事責任を課する目的が「秩序」すなわち規範の確証と予防にあるとの見解に到達しているように思われる(応報の観念には否定的であり、むしろ法秩序の侵害を中心に考えるべきであると主張する)。
<注記: 規範の確証につき、p214。p221のグロティウスの引用も規範の確証を意味しているように思われる。ちなみに規範の確証という用語がアーレントによって用いられているわけではない。予防の点については、全体の趣旨から当然の前提としているように思われる。p210(エピローグ中、本書では終わりから4、5ページ前。ジェノサイドの性質を論じた段落の後の、「公正を期してここにことわっておくが」から始まる段落)、この部分は、やや意味不明。後日英語版を確認すること。― 英語版を確認したところ、歴史において一度起こったことは再度起きる可能性があり、それゆえに、この裁判が先例としての力を持つことが、もし可能であったならば、必要であったという指摘と判明した。英語版(ペンギン)p273>
本書は、ユダヤ人絶滅政策に関する真の古典的著作である。アーレントの知性の達成に感動する。最近読んだ書の中で最もすばらしい。英語版は、Penguin Classics, Hannah Arendt, Eichmann in Jerusalem —A Report on the Banality of Evilである。