ジェームズ・ジョル(歴史家)の諸作品をめぐって James Joll, Historian

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ジェームズ・ジョル 『第2インター』

March 10, 2021 ; ジェームズ・ジョル(1918-1994);

第2インター 1889-1914;

第2インターナショナルの通史。第1次世界大戦に至るまでの革命と改良、戦争等をめぐる論争が丁寧に描かれている。

結局、マルクス及びエンゲルスの権威と、それを解説する法王カウツキーが理論的に支配し、ベーベルが実務を指揮するドイツ社会民主党の教条主義と、そのフランス社会主義への押しつけが、改良と戦争阻止への有効な対応を損なった、これが著者の主要な主張のように思われる。

ドイツ党は、革命的な言葉を弄びながら、議会に相当数の議席を占めつつ、政治的には極めて受動的であり、ジョレスがドレフュス事件救援においてブルジョア自由主義者と共闘したこと、ミルランが入閣したことなどに反対した。当時の歴史的条件の下でどれほどの可能性があったのかは疑問であるが、社会主義者が自由主義者その他の反戦論者と共闘する可能性は、最初から絶たれたのである。

そして、そのドイツ党は、エンゲルスとベーベルの、ロシア・ツァーリズムとの戦争においては、労働者階級も積極的に戦うとの、かつての言明に従って、戦争を支持した。

これらから導き出される教訓は、次のとおりであろう。すなわち、戦争は各種の要因から発生するのであり、ある政治勢力がこれを阻止できるかどうかはその時々の条件によること、戦争が不可避となり、あるいは発生した場合には、当該政治勢力が最も有利となる方針を採る必要があること、この場合に考慮されるべき利益は長期的なものであるべきこと、したがって、自由で民主的な社会の維持又はその創出は、このような利益として重要であること、仮に当該党が「革命」を目指すものとしても、戦争を内乱へ、との戦略が正しいかどうかは、その時、その場所における諸条件に依存すること、当時も今も、社会主義「革命」の条件は存在しないこと、これらである。

本書は、第2インターナショナルが戦争を阻止し得なかったことはもとより、各国の党が戦争を支持したことをその「失敗」と表現しているが、戦争が個別の政治勢力の意思にかかわりなく、これと独立に発生する現象であり、かつ、「革命」や既存憲法内での政権獲得が差し迫って可能な状況にない以上、これらの失敗は必然的なものである。

とりわけ、当時の状況は、イギリス・フランス、すなわち自由の保障において先行していたヨーロッパ先進国がロシア・ツァーリズム、すなわち遅れた専制国家と同盟しているという複雑なものであった。著者が第1次世界大戦の起原の研究に向かったのは、同じような問題意識に基づくのではなかろうか。

以下、注目した点を列挙する。/24: 第1インターナショナルは、パリ・コンミューンを自らの成果として「偽造」した。/47: 改良課題への取組みの是非をめぐる論争。/49-50: 第2インターナショナル第1回大会、1889年、パリ。8時間労働制に関する決議。武装する人民による国防に関する決議。アナーキストらの排除。フランスの革命派と改良派の分裂と、二つの大会開催。/53-55: アメリカ労働運動に由来するメーデーに関する決議。これをめぐる論争。ドイツ党の労働放棄を不可とする立場。/65: 1895年のフランスにおける階級闘争への序文。エンゲルスの遺言への言及。/81: ベーベルのロシアとの戦争への積極的参加に関する発言。エンゲルスの大会への参加と遊覧。/105-: ベルンシュタインの修正主義とこれをめぐる論争。/119: 1904年、アムステルダム大会。ジョレスのドイツ社会民主党批判。/120: 遅れたドイツの社会主義者たちの思想が大会を支配し、破滅を導いたこと。彼らは、自由と民主主義を維持し、改良を追求することの意義を理解しようとしなかった。/122: ドイツ党のもたらした禍。/156-157: 二つの幻想。必然的な革命を待望する待機と、直接行動による革命。/165-166: 1907年のシュトゥットガルト大会。同大会の反戦決議の経過。曖昧な妥協の産物であること。/179-180: 独仏の社会主義者による戦争阻止の可能性。(曖昧な記述)/182: 1912年、ベーベルの戦争が1年以内に差し迫っているとの言動。/1912年。バーゼル大会。/184: ヴィクトル・アドラーの発言「戦争が起こるか、起こらないかはわれわれ社会主義者の肩にかかっていない。」<「戦争を内乱に転化する」ことができるかどうかも、その時々の条件によるであろう。>/187: 宗教と化したドイツ社会主義。/198-200: ジョレスの、戦争反対の仏英各国政府を支持する発言。<戦争は、個々の政治勢力の意思にかかわりなく発生する、嵐のようなものである。>/205: 戦時予算への賛否をめぐる議論。エンゲルスとベーベルの発言の記憶。/212: 一般党員の、戦争肯定の意識。/225: パルヴス、本名アレクサンドル・ヘルプハンドのドイツ政府のための工作。ドイツ党左派に属した。/1915年: ツィンメルワルト会議。レーニンらの参加。/235: ロシア革命。/237: ドイツ政府のレーニンに対する資金援助が事実であること。/239: 宗教としての社会主義。

ジェームズ・ジョル 『グラムシ』

March 6, 2021 ; ジェームズ・ジョル; グラムシ;

グラムシの生涯と思想を簡潔にまとめるものである。

著者は、マルクス主義者ではないが、これに同情的である。「弁証法」の概念を無反省に使っており、その魔術性を十分に批判していない。グラムシもしばしば「弁証法」の用語を十分な分析なしに用いていることが本書により理解できる。それは、マルクス主義のユートピアを救うマジック・ワードだったのであろう。

ブハーリンは、この点では自覚的であり、ヘーゲル的な概念を著作から追放している。しかし、グラムシは、そのブハーリンを批判し、機会的で幼稚な実証主義である旨を述べているとのことである。

本書は、グラムシにならい、実証主義の概念を批判の対象として用い、これを人間の文化的・イデオロギー的活動が歴史の動因であることを否定する考え方であると捉えているようである。ここに誤りの根源がある。文化・イデオロギーの法則性こそが実証的に解明されなければならないのではないか。

著者は、獄中のグラムシが保身のための共産主義インターナショナルへの忠誠に縛られることなく、比較的自由に思考を進め、その見事な文章によってこれを表現したことを高く評価する。

そこには、なお弁証法の魔術に捕われているとは言え、独自の経験科学的考察があったと思われる。それこそがグラムシの歴史的業績であろう。

本書は、逮捕までのトリノにおける政治活動について比較的詳細に論じており、この点では大いに参考になる。「資本論に反した革命」論の紹介もあり、グラムシがいかにレーニンに熱狂していたかが分かる(この点は、グラムシの反スターリン主義を強調する他の文献においてことさら薄められているとの印象を受けた。検証の要がある)。そして、著者もまた、スターリンを批判し、レーニンを救う立場の影響を免れてはいない。

本書は、1977年刊であるが、毛沢東の下放政策を肯定的に評価する記述も含まれている(143)。時代の制約というべきであろうか。この書を見ても、「「弁証法」批判」の著作が急務であることが分かる。

ジェームズ・ジョル 『第1次世界大戦の起源』 The Origins of the First World War, 2nd edition

March 4, 2021 ; ジェームズ・ジョル、James Joll; 第一次世界大戦の起原、The Origins of the First World War 2nd edition;

神田古書店街で見かけて知る。

開戦に至った1914年7月危機に焦点を当てて、戦争の要因として主張される、軍国主義・軍備・戦略、内政の圧力、国際経済、帝国主義の対立、1914年の雰囲気等を順次検討し、それらがいずれも決定的でないことを論じる。

戦争によって利益を得られる集団はあったが、戦争によって不利益を被る集団もあった。前者が政策を左右したとの証拠もない。植民地をめぐる諸帝国主義の闘争は存在したが、戦争はヨーロッパ内の動きに発したものであり、レーニンの帝国主義論の主張を支持する十分な根拠はない。植民地をめぐる紛争については、妥協による解決がそれまでにもなされてきたし、将来においてもその余地が大きかった。何よりも、政治指導者を始めとする各国支配者層には戦争による破滅的影響を危惧する者が少なくなかった。それにもかかわらず、各国指導者は、「避けられない」戦争に入ることを余儀なくされた。しかも、彼らのほとんどは、戦争が長期にわたることを予想していなかった。

著者は、マルクス主義者の戦争に対する態度についても、比較的詳細に論じている。マルクスは、反動的なロシアに対する戦争に賛成していた。マルクスらの戦争に対する見方は、革命に対して有利であるか、不利であるかによって態度を決すべきであるというものであり、この反動的なロシアに対する戦争の肯定は、ドイツ社会民主党に大きな影響を与えた。

また、著者は、第2インターナショナルの反戦の建前にもかかわらず、各国の党が労働者大衆の戦争への支持に引きずられていく様子を描いている。

結局、著者は、これらの各種要因のうち、最後の「1914年の雰囲気」を重視しているものと思われる。著者は、随所で戦争が大衆の支持なくして遂行し得ないことを指摘している。ネオあるいは疑似ダーウィニズム(具体的な言説の指摘はないので、やや実証性を欠く。私見によれば、このような社会的文脈における「ダーウィニズム」概念の使用は不当である)、ニーチェの思想等が時代精神となっていたこと、その中で開戦を長い待機の終わりとして歓迎する人々もいたこと、各国の教育が防衛戦争を美化したこと、これらが指摘されている。一部には戦争を待望する人々も存在した。

私見、すなわち、19世紀後半からポスト・モダンの思想が時代精神となっていたとの仮説がここでも妥当するのかも知れない。マルクス主義もまた、その一環であった。

なお、7月危機の経過からは、カイザー・ドイツの好戦的対応が目立つ。結局、著者が重視する社会心理的要因を除けば、ドイツの経済発展を背景とした急速な軍備拡張と好戦的な対外政策(オーストリア・ハンガリー帝国に、度々、セルビア及びロシアに対する開戦を督励している)、これと形影をなす、軍事強国化を支持し賛美するイデオロギーが、客観的には最も大きな要因であったように思える。

急速な発展に伴う「大衆の反逆」現象と言えようか。誇りと嫉妬が個人において行動への最も強い動因になることと同じなのかも知れない。このことは、今日の脅威を考える上でも、重要であろう。

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