カント 純粋理性批判 Kant, Immanuel

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カント 純粋理性批判 その評価

July 7, 2021 ; カント;

純粋理性批判; 途中までのノート。

カントの理論は、おそらく次のように大きく要約できるのではないか。

すなわち、物自体の世界を真に探求しようとすれば、諸物質の運動の起源と諸物質の外延の有無等について論じる必要があり、時空の概念も諸物質の運動の一側面として考えなければならなくなる。一言にして言えば、「無限」を取り扱い、しかも、その中に一者たる神の存在を位置づけなければならなくなる。これらのことは、人のなし得ることではなく、しかも、神の否定に結びつく恐れすらある。

カントは、以上を多少とも明示的に述べて、これを避け、いわゆる「コペルニクス的転回」に基づき、直観によって与えられている時間・空間の枠組みと、その中における「経験」によって得られる限定的な知識によって、人の知性の限界を画そうとした。

しかも、それらの真理性は、実証の概念をわずかばかり入れているとは言え、根本的には、直観によって与えられたものの真理性に依存し、それは究極的には神から与えられたものと言うしかない。

このような立論の根拠としてカントがしばしば持ち出すのは、ユークリッド幾何学を始めとする数学の明証性であり、物自体を対象とすれば、このような明証性はなくなることが、しばしば論じられている。

いずれにしても、カントの強引と言うべきか、率直と言うべきか、独断的な論じ方には驚く。直観によって与えられたという、その空間と時間の概念にしたところで、リーマン幾何学と相対性理論によって大きな変容を受けたのではないか。それは、直観の進化なのであろうか。その時々の神がその時々の直観を与え、それを改めて前提とすることがコペルニクス的転回なのであろうか。

以上の要約を記して、読書を中止する。これ以上、興味を惹くものがない。カント哲学の諸概念を整合的に理解して精緻化することに、いかに努めたとしても、それによって得られるものがあるとは思われない。

カント 純粋理性批判 ノート (岩波文庫版の頁数による)

January 30, 2023 ; カント; 純粋理性批判;

別のノートに要約を記している。ここには、読書の際の断片的ノートを記録する。

上巻。

/物自体 不可知

/現象<ー受容性(感性)

/現象の把握 純粋直観による

/普遍的真理としての時間、継起性、空間、並存性の存在と、これによる現象の把握。

/論証。純粋直観としての空間、時間

/1. <ーそれがなければ数学の真理性がなくなる。<ー相対性理論は? 純粋直観が進化するとすれば、それは何によるのか?

/2. 時空が物自体の世界の属性であるとすると、物がない純粋の時間空間は存在し得なくなる。<ーここでも相対性理論による駁論が考えられよう。また、カントが物自体の世界における我々の先験的空間・時間の把握、先験的感性、の不妥当性を、つまり、それによれば時空の無限の多様性と恒存及び運動を説明できないと考えているのであるとすれば、結局、カントは、弁神論を哲学に優先させているということになろう。すなわち、神の無限性に対し、我々は純粋直観の限界内において現象を把握するだけなのであり、しかも、その純粋直観は固定的なものである!

/「実践」の欠如。数学もまた、経験に基づくものではないのか?

/なお、時空の純粋直観が心意識の条件であるとの表現、149。

/107, 時間空間論の要約的記述。

/108、繰り返し。

/113-115?、幾何学による論証。反駁可能。そこに空間が定義されているからである。

/119、神を彼方に置くこと。

/123、?

/真理性 130

/弁証論批判<ー詭弁的迷妄である 135、 132ーむしろ経験論を是とする立場ではないのか?

/137、先験的論理学の真理性は、その体系としての完全性である。

/ロックへの言及 164。しかし、アプリオリを前提としなければ純粋概念の演繹を導出できないこと。

/経験的直観の語ー166。経験的直観は、時空という感性の純粋形式を介してのみ我々に現れるー166。<ー同じように悟性の純粋概念が経験から現象を把握することを可能とする<ー171。ロック・ヒューム批判 171。またしても純粋数学の論証 172。

/172 ロック・ヒューム批判。結局は神の存在の肯定のためか。理性の全能ではなく、限界の中での理性活動の十分な領域の確保。172。ー自己意識の先験的統一 176。純粋悟性認識を可能とする意識の総合的統一の説明 181 <ーこれは「実践」の謂ではないのか。

/形式論理学が蓋然的判断等を処理し得ないこと。183-184。パースの批判と同じであろう。先験的統覚において構想力が自発的に総合を行い、カテゴリーが生まれる。 195

/*どうして先験的悟性が自然の法則を認識し得るのかについての説明。204。難問であるとしつつ説明を与えているが、よく分からない。結局、「実践」による一致を考えざるを得ないのではないだろうか。

/この悟性の能力は、神によるものではないとすると、何が統一を保障するのか。現象依存性か? 222

/判断力 176。純粋悟性における判断力ー天与の判断力? 213。

/ー経験は対象である客観を前提とする。230。<ーどういうことを言いたいのか? 233。ー>233、自然法則もアプリオリに与えられている。認識能力と認識対象が同時に創造されているということか?!

/ー経験論批判 241。またしても、先験的感性及び悟性を承認しなければ、幾何学が不可能になることを主張する。

/ー先験的認識(先験的悟性概念)としての現象的実在の連続性(空虚の否定)によって比重を説明する! 249

/なお、「知覚」とは感覚とその対象となる実在である 246

/経験的認識における「類推」。経験的原理としての1.実体の恒在性、2.因果律。

/ー268 客観=規則に従った現象。因果的な法則性も経験から推知されるのではなく、アプリオリにあったものである 272?

/276 因果律を時間の直観から説明しようとする長々とした説明。

/281-282 恒在的な実体の変化ー創造ではなく、物自体なら別であるが、現象については、創造は承認されない 282/ー282 因果律はあくまでもアプリオリな認識である

/ー266 変化の連続性、因果性は、すべてアプリオリな感性的・悟性的条件である。どうしてか?

/292 先験的自然法則なるものが登場する。先験的感性・悟性による経験的認識の対象たる自然(物自体とは異なるものとしての)は、統一的な法則に服している。すなわち客観と先験的感性・悟性の能力が一致する??

/293-294 3類推の要約<ーこれはすばらしい。

/301 観念論に対する論駁/316 「外的直観」の導入。これは経験そのものではないのだろうか。例として、諸物質の相互作用の認識が外的直観によること、ライプニッツは、この点に思い至らなかったため、神を必要としたことが指摘されている。319に以上の点の要約あり。

/直観はすべて感性的直観である?! 303

/327 純粋悟性観念は、経験的にのみ使用され得る!

/334 悟性は、感性的世界の限界を超えることができない

/中巻/以上をもって中断 210707。

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