言葉と論理をめぐる断想 Language and Logic

誤りのない立派な日本語を習得しさえすれば、間違いなく、なにごとであれ言いたいことはあますところなく日本語で言えるようになる ―1620年、ジョアン・ロドリゲス(池上岑夫訳『日本語小文典』後掲)

これまでどれだけの文章を書き連ねてきたのだろう。使っているPCの記憶装置には、いつ、どのような機会に書いたのか、今となっては定かに覚えていないファイルがたくさん保存されている。言葉は、我々が相互に認識を伝え、共有し、議論するための大切な道具である。そして、我々が親しく使っているのは日本語であり、日本語をそのような道具として更に鍛えていくこと、それが世代を継いで行われること、これらの課題は、日本語の使い手である我々一人ひとりの課題でもある。そんなことを思いながら、以下には、思いつくままに、言葉、そしてそれが表現する論理についての断想を連ねることとしたい。

目次

言葉の教育-学校で

私は1952年、福井市に生まれ、高等学校卒業まで同市で過ごした。私が受けた教育を振り返ると、中学校では比較的自由に学び、化学等、好きなことにも打ち込めたが、高等学校ではいわゆる受験教育の下で、あれもこれも学ばなければならず、興味が湧いてもそれに従ってある特定の分野について深く知識を追求するような余裕はなかった。毎日、次々と目先の変わる授業を受け、広い範囲には及ぶものの、断片的で、深く根本にさかのぼらない表面的な知識のみを追いかけている気がして、卒業のころには、その不満もあり、教師に対しても反抗的になっていた。

そのような中で私が一番好んでいたのは、実は古文や現代国語の授業である。これは中学校にさかのぼる。学習指導要領が当時どう書かれていたのかは知らないが、中学校のある先生の国語の授業は、ほとんど常に、教科書中の作品の段落ごとの要約を書かせることだった。各生徒に要約を書かせて、黒板に書いて並べ、その文章や、内容的な過不足を検討し、場合によっては、いくつかの要約のどれがよいと思うかを生徒に議論させた。この授業は本当におもしろく、その後、いかに簡潔に過不足のない文章を書くかについて、大いに役立った。今となってはその先生に感謝の気持ちを伝えるすべはないが、このような、おそらく自分の経験から生み出した教育方法を一貫して実践したことに対して、深い敬意を覚える。

私の高等学校では、古文教育担当の教師陣が充実しており、教育方法について相互に議論し、研究し、新しい試みも行っていた。そのような意気込みは生徒にも伝わるものである。そういう授業の中で深く印象に残っているのは、古文解釈について、先生が『日本古典文學大系』(岩波書店)の注釈を紹介しながら、疑問点を疑問として提起しつつ、様々な解釈の可能性を論じたことだった。教科書には正解があっても、学問には簡単な正解がない、当然のことではあるが、そのことが先生自身の探求の姿勢によって示されたことに感動したのを覚えている。

古文の授業では、日本語古典文法の整然とした体系と、各種の助動詞の使い分けや係り結びに見られる、現代語よりはるかに美しく、豊かな表現に感動した。古文を何とか自分で読みこなせるようになろうと、竹取物語、更級日記等を読み、近世の新井白石の西洋紀聞や杉田玄白の蘭学事始を読んだが、源氏物語や蜻蛉日記は、あまりに難しく、あきらめた。おそらく、語彙が難しい上に、このような平安盛期の古文に特有の統語法(後述。各種文章の構成方法)をよく理解していなかったことによるのではないかと思う。

高等学校を卒業後、上京し、大学生活を過ごした。そのときの「東京弁」(「標準語」「方言」等の用語は言葉の多様性という見地から適当ではないと思うので、使用しない)との出会いは、今考えてみると、おかしくもあり、懐かしくもある。

福井県は、大きく嶺北地方と嶺南地方、すなわち、かつての越前と若狭に分かれており、若狭の言葉は京都の言葉に近い。福井市を含む越前の言葉は、関東の言葉とも、関西の言葉とも違う独特のものであり、その一番の特徴は、言葉固有のアクセントがない、あるいは、アクセントが「平板」であることである。例えば、「橋」と「箸」は、関西と関東で位置が異なるものの、「ハシ」の両音節のどちらかが高く発音される。越前弁では、どちらも、音節に高低を付けないで平板に発音する。このため、日本語話者がL音とR音を区別できないのと同様に、少なくとも私の場合は、そもそも高低の違いが分からず、今でも意識を集中しないと、高低の区別ができない状態にある。ラジオやテレビの放送を聞いていたのであるから、こんなことはもっと早く気づくべきだったのかもしれないが、やはり聞くことと話すことは別である。周りの東京弁に合わせてアクセントを付けないと、よく理解してもらえないし、また、当時は早く越前弁から脱却しようと考えていたので、話すときに意識的にアクセントを付けるようにしたが、時々調子が狂い、妙なところで急に高い音になって困った。これは、同郷人も折に触れてぼやいていたので、私一人が経験した現象ではない。今では、L音とR音の区別のように、少なくとも話す上では、ほぼ正確にアクセントを付けていると自分では考えているが、東京育ちで福山弁と東京弁のバイリンガルである妻から東京弁との違いを指摘されることが時々ある。

越前弁は、語彙にも独特のものがある。例えば、品質等が劣っていることを「おぞい」と表現する。私も「おぞい自転車やの」などと日常的に言っていたが、この言葉が通じない。私は日本全国で「おぞい」が通用すると思い込んでいたので、この言葉が理解されないことを知って、本当に驚いた。柳田國男に『蝸牛考』という著作があり(1930年出版。岩波文庫収録)、「方言周圏論」が提唱されている。これによれば、言葉は時代とともに変化し、その変化は文化的な中心地から周囲の地方へとちょうど波のように拡がっていく、そのため、中心地では最も新しい言葉が話され、そこから遠ざかるほど古い時代の言葉が残って話される。おそらく「おぞい(おぞし)」も同じような法則に従っており、日本国語大辞典第2版(小学館)には、「よくない。悪い。」、更には、人について「悪賢い。ずる賢い。」の意味で使われた17、18世紀の用例が収録され、また、福井県だけでなく、各地でこれら様々な意味で使われていることが記されている。同じような独特の言葉に「てきない(てきなし)」があり、体の具合が悪いことを意味する。この言葉は私が福井市にいたころには既に老齢の人だけが使う言葉だった。これも同辞典によれば、「苦しい。せつない。つらい。」を意味する言葉として18世紀に用いられた。興味深いのは、同辞典に、福井県三国町出身の小説家高見順の小説『いやな感じ』の中の注釈付き用例、「子供の楽しそうな姿を見て、女工仲間の言葉で言えば、テキない(苦しい)おもいだった。」(『日本文学全集23 高見順集』(1967年、河出書房)172頁)が収録されていることである。

言葉の教育-日本語統語法

我々は多くの時間を実用的な文章を書くことに費やす。それらの文章は、簡潔かつ正確に、紛れがないように、また、読む者が理解しやすいように書かれなければならない。

そういう文章をどのように書くのか、文学的文章に慣れ親しんだ私としては、これは簡単な問題ではなかった。実地に試行錯誤を繰り返しながら学ぶうちにも、日本語構文の理論、すなわち、日本語統語法(Syntax)を学ぶことの必要性を日々感じざるを得なかった。なお、Syntaxは、統語論あるいは統辞論と翻訳されるのが通例のようであるが、ここでは、それが文章作成における実践的な方法論であることを重んじて、「統語法」と称することとする。

このような状態の中で出会ったのが、本多勝一『日本語の作文技術』(1976年、朝日新聞社、現在は「新版」が朝日文庫に収録されている)である。類書はその後も出ていると思うが、私が知る限りでは、これを超える実践的統語法に関する書はないと思う。そこで知ったのが、三上章『象は鼻が長い 日本文法入門』(1960年、くろしお出版)が解明した格助詞「は」の機能であり、その画期的な主張にまさに目を開かれた思いがした。

三上章(1903-1971)によれば、「は」の最も重要な機能は、文章全体の主題を提示すること、すなわち「提題」である。この機能は、限定や対比を示す機能、例えば、「Aは赤く、Bは白い」といった文章における機能と共通のものを持ち、このような限定・対比の機能から発展したと評価することも可能であろう。書の表題ともなっている「象は鼻が長い。」の文章では、「象は」が文章の主題を提示し、「象について言えば」の意を示す。「鼻」は、したがって「象」の鼻であり、鼻の属性が「長い」によって示される。

そして、三上は、更に、この提題の機能が、現代文であれば句読点で区切られる一つ一つの節又は文を越えて機能すること(「コンマ越え」「ピリオド越え」)を明らかにした。例えば、「Aは、甲理論によって導かれる結論である。乙理論によるものではない。」との文章では、第2の文章に主語が明示されておらず、また、その述部も省略を含んでいるが、「Aは」によって示される主題が第2の文章の主題でもあることが第1の文章の「は」によって示されているのである。

また、このような提題の「は」は、他の格助詞と組み合わせられて、動作の対象、時、場所、手段、方向等をも主題として提示することができる。例えば、「福井へは、北陸新幹線で行くことができる。」では、「へは」によって「福井へ」という方向が文章の主題であることが示される。

さらに、このような他の格助詞との組合せは、意味に紛れがなければ、その格助詞が省略されて、「は」のみによって示される。言い換えれば、「は」が他の格助詞を兼ねて、その働きを代行する。例えば、「その本は、私が買った。」における「は」は、買うという動作の対象を示すが、「を」と組み合わせる必要はなく、現代文においては省略するのが通例であって、「をば」の語を用いることはほとんどない。「には」の省略はしばしば見られ、「日曜日は庭の手入れをする。」などの文が普通に用いられる。

また、「は」によって示される主題が述語動詞(形容詞等を含む。以下同じ)の主語でもある場合には、主語を別途示す必要がない。「は」は、主題を示すとともに、通常、格助詞「が」を付して示される「主格補語」(主語を指示する文の要素を示すのに用いられる三上の用語。例えば「その象が」など)を兼ねる。このような「は」の主語指示機能は、句読点を越えて、あるいは段落を越えて、用いられる。例えば、「Aは、車を運転して、南禅寺に行き、昼食をとった後、参拝した。その後、哲学の道を散歩した。」との文章では、述語動詞を含む述部で示される動作の主体はすべて「A」である。

以上に概略を示した三上の理論は、日本語の作文技術において最も重要なものであると思う。しかし、どうしてこれを職に就いて後、しかも、教科書でもなく、日本語文法書でもなく、辞書でもない『日本語の作文技術』によって知ることとなったのだろうか。最近の国語教科書は実用的な表現も重んじた構成になっているようなので、あるいは、このような提題の機能に触れているのかも知れないが、私の受けた教育では、これを教えられた記憶が全くない。

金谷武洋『主語を抹殺した男 評伝三上章』(2006年、講談社)の著者は、1951年生まれで、早くにカナダに渡って言語学を修め、そのままカナダに滞在して日本語を教授・研究している。日本語教育の実践の場において従来学校で教えられてきた文法の限界に直面し、三上の理論によって目を開かれた。私は1952年生まれであり、1年違いの著者も私とほぼ同じような教育を受けたと思われ、その二人が同じ感想を強く持っていることは誠に興味深い。著者は日本語教育に従事し、最近の国語教科書にも通じていると思われるので、問題の深刻さを改めて感じざるを得ない。

著者は、三上の理論が国語教育の場において活用されていないことの原因を学界の閉鎖性に求め、これを強く批判する。著者によれば、国語学者は、西欧近代語、特に英語の主語・述語関係をそのまま日本語文法に持ち込み、「主語」を欠く文を主語が省略されたものと見て、「は」の提題機能の独自性を正当に評価しなかったのである。三上は、学校で数学を教えながら国語文法学を独自に研究し、「は」の提題機能を解明して、一時は「主語」の概念を否定した。しかし、大学に職を持たない在野の研究者である三上の理論は、金田一春彦ら一部の学者を除いて、学界において正当に評価されなかった。その失意もあって、晩年精神に変調を来した。三上の文法は海外で評価され、ハーヴァード大学における研究にも招聘されたが、何よりも日本の学界において無視され、反論すらされなかったことがその精神を損なう大きな原因となったことは間違いがないのであろう。

例えば、三上の死後のものにはなるが、大野晋『日本語の文法を考える』(1978年、岩波新書)での三上の理論の取扱いを見ると、「は」と「が」の使い分けについては、「既知」と「未知」の対立による説明が続き、「は」の提題機能が正面から論じられていない。私は、高等学校時代、大野の講演を聴いて、比較言語学の魅力に触れた覚えがあり、三上の理論を知った後に、同書の存在を知って読み、失望した覚えがある。今読み返して見ると、補註1(213頁)に三上章の『象は鼻が長い』への言及があるが、「提題」あるいは「主題の提示」といった言葉すらなく、三上が「主語廃止論」を述べ、「助詞の代行」の理論を立てたことが指摘され、「それらの点で私は三上氏の論に賛成しかねた」とあるのみである。しかし、その後の大野晋『日本語練習帳』(1999年、岩波新書)は、実践的な作文技術を論じるものであるだけに、三上への言及はないものの、さすがにその理論を踏まえて、「は」の働きの第1に「問題(topic)を設定して下にその答えが来ると予約する」ことを挙げている(48頁以下)。

金谷の筆致は、三上の不遇を強調する余り、やや学界批判に過ぎる印象がある。学界は、実践的な統語法に十分な関心がなく、三上の理論の上に日本語統語法を発展させる意欲を欠いていたのではなかろうか。ちなみに、『日本語の文法を考える』前掲1頁以下及び大野晋『日本語の源流を求めて』(2007年、岩波新書)80頁も、学者・教師の間における日本語文法学への関心の薄さと、これによるその未発達を指摘している。このような傾向は、日本の人文社会科学研究一般の重大な欠陥であり、その根底には、丸山眞男のいう「最新流行主義」がある。丸山は、1980年、大山郁夫の政治学に関して講演し、日本における政治学の歴史の研究が進んでいないことの理由を考察して、「私共の風土に非常に根強い最新流行主義—いつも最新の流行のモードを追っかけている、外国に新しい学説が出るとパッとそれを紹介する。つまりファッションと似ておりまして、いつも新しいものを追っかけている、過去の蓄積の上に新しいものを創造していくというよりは、いつもニューモードを追いかけていることの一つの現れと見られます。それが、日本の、狭く言えば学問、広く言えば文化の底の浅さをなしているのではないかと思います。」と述べた(『丸山眞男話文集1』(2008年、みすず書房)364頁以下)。このことは、法律学にも当てはまる。例えば、宮澤浩一「比較刑法研究のための基礎作業」『刑事法学の諸相 井上正治博士還暦祝賀 (上)』169頁(1981年、有斐閣)は、刑法研究に関して、「従来、多くの人々は、刑法総論に関する理論学に関心を向けすぎていた。これは、西ドイツ刑法学の一つの傾向を拡大鏡にかけて、極端化したような姿であった。」と述べた上、これらの研究は、「自国の実務に対して貢献し、判例の動向に影響を及ぼすといった性質のものでもなくて、借り物の理論で観念的に説明を加えるという思弁の所産が多かった。」と述べ、今もなお根強く残る観念的な研究態度を痛烈に批判している。

また、金谷が「主語」廃止論を主張するのは、そして、三上を「主語を抹殺した男」と論じるのも行き過ぎである。述語動詞によって表現される動作や属性の帰属の主体を示す言葉が「主語」であり、日本語においても、それが「は」の機能によって示されず、かつ、文脈上紛れを生じるおそれがある場合には、別途「主語」を置く必要がある。三上も「主語」概念そのものを否定したわけではないと思われ、動作・属性の帰属主体を明示する必要がある場合には、それが「主格補語」によって示されることを論じた。この主格補語によって示されるのは、述語動詞の動作又は属性の帰属主体にほかならず、それこそが「主語」である。なお、この主語をめぐる議論は、日本語が「論理的でない」との今なお根強い主張にも関連する。これについては項を改めて論じることとしたい。

本多勝一『日本語の作文技術』は、以上のような三上理論の紹介と応用にとどまることなく、日本語の語順や句読点に関する論述をも含む。例えば、日本語の語順に関しては、三上の「主格補語」理論が示唆するとおり、英語のような比較的厳しい規則がない。しかし、理解のしやすさから見た一般的な法則が認められ、著者によれば、それは、修飾句を伴う長い要素を前に置くということである。「私は鼻が他の象に比べて取り分け長い象をそのとき見た。」という文章を作ってこれを例にとると、「私は」に対応する述語動詞である「見た」の位置が離れすぎており、むしろ「他の象に比べて鼻が取り分け長い象をそのとき私は見た」の方が分かりやすいことが論じられている。しかし、実用的な文章においては、「私は、」と、読点を付した上で、主題・主語を冒頭に置くのが普通であり、この法則は文章の目的によって適用の有無・程度が左右されるというべきであろう。

日本語は「論理的でない」か。

日本語が論理的でないという議論には根強いものがある。例えば、早川義郎「日本語の来し方-漢字とともに-」上下(本誌『法曹』2021年3月号・4月号)は、志賀直哉が1946年に「日本の国語程不完全で不便なものはない。」と述べ、「世界中で一番いい言語、一番美しい言語」としてフランス語を国語とすべきであると主張したことを紹介し、これを批判している(4月号36頁以下)。志賀直哉と言えば、高校時代その小説の魅力に惹かれてよく読んでいたので、この杜撰・浅薄の極みとしか言いようがない議論には本当に驚いた。

また、宮澤浩一「比較刑法研究のための基礎作業」(前掲)も、「論理的に不明確な日本語の議論は、欧米人に理解可能な欧文になりにくい」と述べ、碩学川島武宜も『ある法学者の軌跡』(1978年、有斐閣)において翻訳に関連して随所で日本語の限界を指摘している。最近では、西洋古典学者がラテン語から日本語への翻訳について、日本語には論理的に難がある旨を記しているのを見つけた(本田裕志訳『ホッブズ 市民論』(2008年、京都大学学術出版会)452頁)。同箇所は、ホッブズの論理的に明晰なラテン語の文章を「論理的明晰性を損なうことなく、(それを表わすには原語と比べて難のある)日本語によって再現することに意を注いだ。」と述べるものであるが、ホッブズの文章そのものが文脈を考慮しなければ読み解けない部分をしばしば含んでいる上、後にも述べるが、主語を明示しないことが多く、文法的道具立ても決して豊かとは言えないラテン語と比較して、日本語にどのような論理的な難があるのか、理解に苦しむ。

そもそも言語は事物の運動や属性を論理的に表現するものであり、そのような表現をなし得ないものであれば、人々の間における認識の伝達と共有が妨げられる。あらゆる言語はその意味で論理的なはずであり、日本語が「論理的でない」などと言うことはできない。ある具体的な日本語の文章が論理的でないとすれば、それは日本語の制約によるものではなく、その作成者の思考と言語の使用が論理性を欠いているからであり、同様のことは、ヨーロッパ言語はもとより、いかなる言語においてであれ生じ得る。翻訳の対象となるような古典的な著作の「論理性」が当該外国語のすべての文章に及ぶなどと信じることはできない。このことは日々メディアが生み出す記事を読めば容易に分かることである。何語によるものであれ、その中には、論理的に明快なものもあれば、理解が困難なものもある。先に述べた志賀直哉のフランス語礼賛も、翻訳の対象となるような限られた著作を念頭に置いたものであろう。

早川・前掲も、日本語の論理性を問題にする議論が日本語それ自体の欠点に基づくものではなく、その使い手の問題によるものであることを指摘している(4月号42頁以下)。おそらく、このことは、日本においては、ヨーロッパにおいて盛んに研究され、教育された、古代ギリシアの伝統に由来する弁論術(修辞学)のようなものが発達しなかったこと、古来そうであったかどうかは別論として、少なくとも戦争前後以降、特に敗戦以降の状況を見る限り、論理的な議論が好まれない傾向が強いことにもよるのであろう。しかし、それは、あくまで現代の日本語話者の多くが持つ、思考とその表現に対する態度によるものであり、日本語それ自体の問題ではないのである。

ノーム・チョムスキーの生成文法論は、あらゆる言語に共通する、単純な文から複雑な文まで各種の文を無限に生成することが可能な普遍文法の存在を明らかにした。チョムスキーによれば、このような普遍文法は、生得的に与えられており(進化の過程において発達した脳の構造によるものと考えられる)、その基礎の上に、各個別言語に接することによって、その言語が容易かつ急速に習得されるのである(ノーム・チョムスキー『生成文法の企て』2011年、岩波現代文庫)。このような普遍文法に基づく個別言語のうちのあるものが論理的であり、あるものが論理的でないなどとは考えることができない。

それではなぜこのような議論が今なお主張されるのか。おそらく、これには二つの問題があるものと思われる。一つは、先にも述べた、日本における、特に人文社会科学分野での学問の在り方に関わる、学術的語彙の問題である。日本は、明治維新前後から急速に欧米の学問の輸入に努めた。学問には当然その学問分野における学術用語がある。学問は言葉とともに発展する。どの学問にも過去から出来合いの用語があったわけではない。ヨーロッパの学問もそれぞれの分野において学術用語を生み出し、定義を与えつつ、発展した。特に12世紀ルネサンス以降、知識人たちは、古典ギリシア語及びラテン語の文献に学びつつ、学術における共通語であるラテン語を用いて、学問上必要な各種概念を指示するものとして学者間において共通の理解の下に使用される用語を生み出し、定義を与え、議論した。そして、15世紀に始まる活版印刷の爆発的増大により、それまで俗語と称されたフランス語、英語等の各国語が広く学問の世界でも用いられるようになると、ヨーロッパ知識人たちは、ラテン語による学術用語に対応する各国語(ラテン語からの借用語も多い)を選択し、確定した。このような過程は西洋・東洋の別を問わない。杉田玄白の蘭学事始に描かれた解体新書の翻訳や、西周による「哲学」を始めとする各種訳語の創造は、日本における同様の努力である(早川・前掲は、このような訳語の創造について詳細に論じている。4月号23頁以下)。おそらく上記の川島武宜の述懐は、このような異言語への概念の置き換えの困難さを示すものとして理解されるべきであろう。

第二は、日本語の文法構造が欧米各国語とは大きく異なることであろう。これに、日本語統語法の解明が、先の三上理論の取扱いにも見られるように、学問的に未発達であることが加わり、翻訳者や著作者には、自覚的に用いるべき規範的な日本語統語法が手近に見当たらないこと、それに比べて、欧米各国語の文法書が統語法を豊富に取り扱っており、少なくとも学術的文章においては、このような規範的な統語法が比較的よく守られていることから、日本語が文法の上で「論理的でない」との印象が生まれるのだと思われる。

そのうち最も頻繁に聞かれる議論は、主語が明示されないことが多いというものであろう。しかし、その主張者の多くは、英語を念頭に置いており、他のヨーロッパ言語との比較を詳細に行ってはいないと思われる。現代英語は、西欧近代語の中でも例外的に人称や数による動詞活用形の違い、性・数・格による名詞・形容詞の変化がほとんど消滅した言語である。そのため、動詞の活用形や名詞・形容詞の変化形から語と語の結び付きを判断することが難しく、必然的に語の順番によって各語の機能を判断することが必要になる。このような英語の在り方は、一方で学習を容易にし、英語が国際語として広く通用することの一因ともなった。そして今日、主語・動詞・目的語(SVO)、主語・動詞・目的語・補語(SVOC)といった英語の語順の形式は、学校教育で繰り返し教えられている。

これに対し、近代語でもロシア語のような複雑な活用・変化を持つ言語については、文法書において語順は「自由」であると説かれることが多い。語形から語の間の結び付きが判断できるので、紛れがない限り、「自由」であるとの趣旨であるが、それでも自ずから一般的な語順は存在する。いずれにしても、語順が英語のように決定的重要性を持たないことは確かである。また、このような言語においては、主語が明示されないことも多い。性・数からは主語が必ずしも明確でない場合にも、文脈上明らかであれば省略されることがある。

古典ギリシア語・ラテン語においては、ある主題について文が連続する場合、主語が省略されることがむしろ普通である。性・数からは主語を一義的に判断できないことも多い。一般には、前の文の主語がその次の文の主語であることが多いと言われているが、例外がないわけではなく、古典古代には一般的な知識に属していた事柄の相当部分が現在では分からなくなっていることもあり、解釈が分かれることも少なくはない。

さらに、古典ギリシア語は、民会における弁論によって鍛えられ、聴いて理解できることが特に重んじられており、定冠詞、分詞等が発達しているが、ラテン語は、これに比して文法的道具立てが貧弱であり、口頭での表現の豊かさにおいてはギリシア語に譲るところが多い。例えば、ラテン語では能動形の分詞が発達しておらず、過去の出来事について分詞を用いようとすれば、受動を意味する完了分詞を用いざるを得ない。例えば、分詞を用いて「私は、その人を見かけて、あいさつした。」と言う場合、「見かけた」という過去の出来事を表す能動分詞がないため、受動を意味する完了分詞を用いて、文字どおりに翻訳すれば、「私は、(私によって)見かけられたその人に、あいさつした。」と言わなければならないのである。また、定冠詞がなく、語順も自由であるために、英語であれば、通常「A is B」と表現されるはずの文において、A、Bどちらが文の主語であり、どちらがその属性を示す補語なのか、一見したところ分からないことも多い。さらに、ラテン語の活用形・変化形には、ギリシア語に比較して多くの、文法的性質が異なる同形語があり(そのうちには発話の際に母音の長短で区別されるものもある。しかし、母音の長短は、教科書等を除いて一々示されていない)、これも読解を困難なものとしている。

以上に明らかなとおり、主語を明示しないことはヨーロッパ言語においても稀なことではない。日本語においては、提題の「は」が多くの場合に主語を示している。主語が明らかでなく、文脈を加えても紛れが生じるおそれがあれば、主格補語を加えれば足りることであり、それは主語を明示しないことが多い上記各言語においても同様である。結局、主語に関して日本語の論理性の欠如が論じられることが多いのは、むしろ日本語統語法に関する研究が未発達であり、これを自覚的に用いることができないことによるところが大きいと思われるのである。
さらに、主語の有無と並んで、述語動詞が通例文末に置かれることが日本語の欠点として指摘されることがあるが、古典ギリシア語やラテン語でも文末に述語動詞が置かれることは多い。結局このような議論は、英語の語順にのみ目を奪われたものであり、日本語の論理性を否定する理由とはなり得ない。

最近、イエズス会士、ジョアン・ロドリゲスが書き、1620年にマカオにおいて刊行された『日本語小文典』(池上岑夫訳、1993年、岩波文庫、上下)を読み、その整然とした日本語文法論に驚きを覚えた。ロドリゲスは、同書の目的を、これを学ぶことによって、宣教師たちが美しい日本語を習得し、教義をめぐる論争において異教徒を論破し、布教を成し遂げることにあると述べており、そのためには、文法を学ぶほか、ラテン語において古典の読解が重要であるのと同様に、平家物語や太平記を始めとする古典作品を読んでその文章語に学ぶことが重要であると論じている(上34-39頁)。このような目的からして、同書は必然的に実践的な統語法を詳細に論じるものとならざるを得ない。

そして、三上が論じた「は」の提題の機能も、そこに既に明快かつ簡潔に記されているのである。ロドリゲスは、ラテン語文法を範として日本語文法論を築いており、格助詞は、格を示す語尾(「小辞」又は「冠詞」と称されている)として取り扱われている。そして、「は」「が」「の」「より」が「主格形を作る機能を持つ」と述べた上で、「Va(「は」のこと。筆者注)には提示の機能があり、(中略)[「……に関しては」の意の(翻訳者注)] quanto a (ポルトガル語。筆者注) という表現などに相当する。そこでこれはどの格の冠詞のつぎにも続けて提示の機能を果たさせることができる。」と論じている(上74、78、79頁)。三上がこの小文典、また、更に詳細な、同じロドリゲスの『日本大文典』(土井忠生訳。三省堂が数度にわたって出版している。未見)を読んでいたのかどうかは、私には明らかでないが、コンマ越え、ピリオド越え等の言葉を用いて、「は」の機能を更に明確にし、日本語文法の大きな柱とした功績は大きい。三百余年の時を隔て、実践的統語法を追求した東西の文法研究者が同じ道を辿ったことに深い感慨を覚える。

主語論とともに、よく聞かれるのは、関係代名詞とこれによって導かれる関係代名詞節が日本語にはないという議論である。この議論に対しては、日本語にも関係節があると簡潔に答えることができる。「私が昨日あなたに勧めた本は、これです。」という文を例にとれば、「私が昨日あなたに勧めた」という連体修飾句が述語動詞である「勧めた」を含む、英文法等でいう「節」をなし、「本」を限定している。「関係代名詞」に相当するものがないことから直ちに関係節がないということにはならない。英語においても目的語を先行詞とする関係代名詞はしばしば省略され、現在では書き言葉においてさえも省略されることが多い。例えば、上記の文は、「This is the book I recommended to you yesterday.」となり、which又はthatが省略される。

再びロドリゲスの日本語小文典を参照すると、ラテン語との比較において関係節が論じられ、ちょうど上記の英文の例におけるように、関係代名詞が省略されて、語順によって関係節であることが示されることが論じられ(上96、97頁)、また、「これ」「それ」「あれ」などの指示代名詞が先行する言葉を指示して「関係詞の機能」を果たし、英文における関係代名詞の接続的用法のように、これに関する叙述を進める機能を持つことが指摘されている(下28頁)。このような関係節・関係詞の用法は、ロドリゲスが既に17世紀に記録していることからも明らかなとおり、欧米文献の翻訳によってその使用が更に頻繁になったということはあるかも知れないが、古来日本語文法に備わっていた。この稿の冒頭に掲げたとおり、ロドリゲスによれば、「誤りのない立派な日本語を習得しさえすれば、間違いなく、なにごとであれ言いたいことはあますところなく日本語で言えるようになるのである。」(上43頁)

芥川龍之介は、「奉教人の死」や「きりしとほろ上人傳」において、ロドリゲスがその文法を分析して記録した言葉の世界を彷彿とさせる見事な文章を綴った。未来や推量の意味を表す助動詞「うず」(小文典上122頁。ロドリゲスは動詞の活用語尾として論じている)が用いられ、ロドリゲスのいう関係節も多用されている。なお、芥川は、これらの小説がその所蔵に係る切支丹版「れげんだ・おうれあ」(LEGENDA AUREA)に収録された物語に「多少の文飾を敢てし」あるいは「多少の潤色を加へたもの」であると各小説の末尾又は冒頭に記した。17世紀そのままと思われるようなその文体の豊かさと自然さも相まって、そのような書が現にあると信じた者も小説発表当時少なくなかったが、これはあくまで架空の書である(芥川龍之介「風變りな作品二點に就て」芥川龍之介全集第8巻(1978年、岩波書店)101頁)。芥川は、これらの小説を「文禄慶長の頃、天草や長崎で出た日本耶蘇会出版の諸書の文体に倣つて創作したもの」であり、「奉教人の死」は「其宗徒の手になつた当時の口語訳平家物語に」、「きりしとほろ上人伝」は「伊曽保物語(イソップ物語。筆者注)に」それぞれ「倣つた」と述べている(旧字体は新字体に改めた。筆者注)。一度これらの「諸書」を読んでみたいものである。

日本語は、日本語話者であれば、自然に身につくのか。

表題の質問を正面切って問われれば、おそらく多くが自然には身につかないと答えるのであろう。しかし実際には、自然に身につくと、そうは意識しないままに信じ込んでしまう傾向がないだろうか。外国語の学習における近時の「会話」の重視も、会話による意思疎通能力を高めることに役立つ一方で、会話すれば外国語が身につくという態度を導きかねない危険な要素を含んでいる。

日常の会話と論理的な議論は、部分的に重なり合いつつも、異なる。そして、論理的な議論が更に詳細かつ厳密になると、それは書き言葉で表現されざるを得ない。そして、例えば、法廷や学会での議論においては、書き言葉、あるいはそれに近い言葉が口頭で表現され、言わば、書き言葉が話し言葉に移行する。

どのような言語であれ、話し言葉と書き言葉は異なる。英語をとってみてもその差は大きく、むしろ現代日本語は話し言葉と書き言葉の差が語彙や文法に関する限り他に比較して大きくない言葉に属する。書き言葉は会話を重ねても十分には習得できない。したがって、自国語もまた意識的に学習し、習得する必要がある。しかし、少なくとも私の受けた教育に関する限りは、このような書き言葉の表現方法を体系的に学ぶ機会がなかった。おそらく必要な改善が徐々に進められているものと思うが、様々な人の様々な文章に接する限り、十分であるとは考えることができない。

私は古典ギリシア語とラテン語の講読の授業に参加しており、西洋古典学者の文献や翻訳を読むことが多い。そうした中で痛感するのは、戦前の教育を受けた学者の文章の確かさと研究の深さである。これは単に昔日を懐かしむ議論ではない。疑問を持つ向きには、人文社会科学のどのような分野であれ、戦前の教育を受けた学者の文献を一読することを勧める。その原因は何か。思い当たるのは、高等教育における徹底した外国語教育と、漢文及び日本古典に関する素養である。

戦前の高等学校では英語、ドイツ語、フランス語等が徹底的に教えられ、各言語で高度な専門書や文学作品を読みこなす能力を身につけることが要求された。主として恵まれた階層の子弟に限られていたとは言え、このような教育を受けた者は、読解の努力を通じて、自国語の構造や統語法にも熟達する必要に迫られ、おのずから論理的に明晰な日本語を書き表す能力を養うこととなった。外国語の原書を読解することは、翻訳書を読むこととは、この点において大きく異なる。

漢文すなわち古典中国語は、日本語にとって、ヨーロッパ言語におけるラテン語に相当する。ヨーロッパ近代語がラテン語の語彙と修辞法を多く取り入れているように、日本語は漢文の語彙と修辞法を取り入れた。そして今なお漢字を組み合わせた字音語が創造されている。戦前の高等教育を受けた人々は、漢籍や日本古典に、我々よりはるかに親しく接していたと思われる。仮名遣いの差もほとんどなく、手紙文等においてはこれらの古典由来の文体が多く用いられた。先に述べたロドリゲスの言にあるように、古典の文章の講読は、書き言葉の習得のための有力な手段である。

外国語原書と自国語古典の徹底的な講読、これこそが書き言葉の習得への、遠回りのように見えて実はそうではない、近道なのであろう。欧米における古典ギリシア語及びラテン語の教育は、第2次世界大戦前までは盛んに行われた。辞書や注釈書、文法書に関しては、19世紀後半から同大戦前にかけて出版されたものが今でも高い権威を持っており、それを超えるものは少ない。そして、欧米においても、往時に比べれば、西洋古典教育が衰えているように見える。このような欧米における古典教育の現状は、書き言葉にも影響を与えている。かつて英語文法教育で教えられたような、おそらくラテン語の修辞法に由来すると思われる、「A whale is no more a fish than a horse is.」といった構文を見かけることは、ほとんど絶無である。このような傾向は、文章の分かりやすさを高める一方において、複雑な論理を力強く簡潔に表現する力を削ぐものともなっていることは否めない。

言葉と論理

言語は人の認識の論理的な表現であるので、時の前後、原因と結果、理由と結論等をその構文に反映させて示すことができなければならない。複雑な論理を表現するためには、関係節や、接続助詞「ので」「から」「が」「けれども」「ものの」等や「とき」「場合」等の形式名詞を伴う従属節を用いて、複文を構成する必要がある。また、文の間、段落の間の論理的関係を示すためには、「したがって」「しかし」等の接続詞を適切に用いる必要がある。

このような複文の構成方法と接続詞の用法を意識的に習得する必要があることを教えられたのは、かつて英語学校で授業を受け、その教材と教授法に接したときである。記憶が正しければ、ミシガン大学で開発された教材と教授法だったと思う。それは、and、but、「;」 (semicolon)などで並列的に文をつなぐ重文と、「because」等の従属接続詞を伴う節を従える複文の違いから始まり、文と文をつなぐ、for、however、furthermore、on the contrary 等を含め、各種の接続詞・接続句とその用法を例を挙げて詳細に解説し、練習させるものだった。そのときに、日本語についても同じような教材と教授法があればということを痛切に感じた。

ハーヴァード大学で西洋古典学を学び、トゥキュディデスの「戦史」の翻訳を始めとする数々の業績を挙げた久保正彰(1930年生)は、「English A -ハーヴァド大学一年生の文章道場-」(LEC会計大学院紀要9号(2011年)15頁)と題する小論において、1949年から50年にかけて同大学一年生として受けた「English A」という作文の授業について回想している。そのころ同大学では、ごく少数の例外を除き、外国人であるかどうかを問わず、すべての一年生が英作文技術の習得を目的とする「English A」の授業を履修しなければならなかった。これにより、毎週、3時間の授業への参加と、単語数600の課題作文の提出が義務付けられたという。その課題は、例えば、「任意に、A、B二つの事柄(事象)を選び、記述せよ」というものであった。著者によれば、このような課題は、「文章作成よりも先に記述者自身の思念の形を明確に意識させること」を主眼とするものであった。授業では、提出された作文を検討し、単語の選択や「英語の係り結び(慣用表現 Idiom)」等について綿密な指導が加えられた。

単語の選択に関しては、アングロ・サクソン系の言葉と、古典ギリシア語やラテン語由来の言葉のうち、文脈の許す限り、前者を用いることが求められた。これには、日本語におけるやまと言葉と漢字による字音語の間の選択にも通じるものがある。最近の日本語においては、「English A」の示唆とは逆に、やまと言葉よりも字音語を選択する傾向が強まっているのではなかろうか。私には、それによって言葉の持つ力が弱まり、言葉の意味がますます現実から離れた抽象的なものになっていくような気がしてならない。

おわりに ―― ジョージ・オーウェルの文章論

以上、文字どおり断想を連ねるものとなったが、国語学習をめぐる私自身の経験を振り返り、これに基づいて、国語教育の在り方に関する率直な感想を述べた。国語も外国語も、それらによる古典も、いくら学んでも、どれほど読解を重ねても、分からないことが残る。それこそが汲み尽くせない言葉の、空間的な、また時間的な果てしなさであり、その謎を追いかけることそのものが、無限の連なりの中の微小な点にすぎない私の生きる意味の一つとなっているのかも知れない。

作文技術にも果てしがない。事実の認識と同じく、文をいくら連ねても、どうしてもこぼれ落ちてしまうものが残る。言葉による表現は、必然的に限定の作用を伴う。限定は、他の否定である。それが正しいものだと、どうして言い切れるのだろうか。そんな思いに立ち向かいつつ、毎日何かしらの文を綴っている。

最後に、小説『1984年』や『動物農場』で名高く、その散文が高く評価されているジョージ・オーウェル(1903-1950)の言葉を引用して、稿を閉じることとしたい。

オーウェルは、「Politics and the English Language」(Horizon, April 1946)において時代の政治的状況が英語表現に与える影響を論じ、ハロルド・ラスキを始めとする著名人の文章を実例として、使い古された比喩、古典ギリシア語・ラテン語等に由来する外来語、二重否定と受動態の多用などの語彙・文体における共通の特徴を指摘し、これらによって文意の明確さと力強さが大きく損なわれていること、その根底には、表現の前提となる明晰な思考を欠いたまま、出来合いの表現に依存して、半ば機械的に言葉を選んで文を作る態度があることを指摘した。このような傾向は、政治において著しく、人々は党派的な決まり文句を半ば自動的に並べて文章を作り、他の人々とともに自らをも欺くのである。オーウェルは、このような英語表現の在り方が時代の状況に影響されたものであることを認めつつ、これに抵抗することは可能であり、また、そうしなければ、このような表現の在り方によって逆に思考の明晰さが失われると説く。

オーウェルが提唱する文章作成の規則は、次のとおりである。これらの規則は主として政治的言論に焦点を当てたものであり、対象とする分野や目的によりすべての規則がそのまま適用されるべきものではなく(下記規則viが例外を定めるが、その「野蛮」の解釈は難しい)、また、いずれも難しい要求であり、少なくとも私にはこれらをすべて実行することができるとは思われないが、先に述べた「English A」の授業の教えとも一致する点が多く、日本語の作文においても論理の明晰さを保障するためのものとして心がける必要があろう。

i. 出版物で見慣れている暗喩、直喩又はその他の比喩的表現を決して用いないこと。
ii. 短い言葉で足りるときは、長い言葉を決して用いないこと。
iii. ある言葉を削ることができるときは、常に削ること。
iv. 能動態を用いることができるときは、決して受動態を用いないこと。
v. 日常用いられる英語で同じ意味のものを見つけることができるときは、外来の語句、科学用語又は専門用語を決して用いないこと。
vi. 明白に野蛮な(barbarous)ことを述べることとなるときは、これらの規則のいずれであっても、これを破ること。

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