若桑みどり マニエリスム芸術論
..Date: 2013.05.16;
若桑みどり;マニエリスム芸術論;
すばらしい。16世紀マニエリスムの特徴とその歴史的背景が初めて理解できた。
自然・人間の,何ものにもとらわれない自由な探求は,初期ルネサンス芸術の力強く清新な表現を生み出した。遠近法,人体の理想的プロポーション等が人間を含む自然を生き生きと美しく表現する手段として発展した。
しかし,その盛期は既にマニエリスムへの途を含む。すなわち,ミケランジェロの後期の絵画・彫刻は,古典的プロポーションから離れた,湾曲し歪んだ人体を描いて,観念を,寓意を,強く表現した。
マニエリスムは,このような後期ミケランジェロに,マニエラすなわち手法の完成を見,その手法を学び,観念的・寓意的な世界を表現することによって最高の芸術に到達できると考えた。そして,その観念には,中世的なものも含まれている。マニエリスムは,かくして,観念性・寓意性,貴族的知的サークルにのみ通じるという意味における知的貴族性を帯びることとなる。
その後のバロックは,これら思想的・文学的文脈を芸術から取り除き,力と躍動を表現する。それは,再び現実と芸術が結びついたことによるものと評価することができる。
このような芸術様式の変化の歴史的背景は,次のとおりである。
すなわち,イタリアの自治都市国家における市民的人文主義(これらに基づく市民的公共性。市民による,公共の場所に展示される絵画・彫刻等の注文。同時代の社会に生きる人間たちの関心を引くことに向けられた芸術。遠近法,解剖学,人体比例法,現実的な空間と時間の意識,生き生きとした人間らしい表情。P.40,P.37, P.42等を見よ。)の追求がルネサンス芸術を発展させたが,その後,イタリアが絶対主義に向かう諸帝国の争奪の場となり,フィレンツェも共和国から絶対主義的な公国になるに及んで,市民的公共性が失われた。
過渡的な危機の時代,宮廷的なマニエリスム芸術が盛んとなったが,その後,これら帝国の安定期に入ると,芸術は再び社会的現実との結びつき(これが何を意味するのか。更に研究の要あり)を得て,バロックが生まれた。
以上が、理解した限りにおいて、本書の序論の要旨である。
この著者の『フィレンツェ』と題する書とともに,内容が豊かで深い。現在の絵画芸術のかなりの部分は,一種のマニエリスムと評価することができるのではないか。また,田中英道の芸術段階論(古典 > マニエリスム > バロック > 古典)も上記のような歴史的背景の理解によって初めて内実を与えられるように思われる。