旧体制と大革命 アレクシス・トクヴィル
..Date: 2013.03.15;
アレクシス・トクヴィル,トックヴィル;
旧体制と大革命;
トクヴィル(本書の表記)は,1805年生まれ。本書は,1856年出版。
本書を簡単に要約するのは極めて難しい。トクヴィルが解明しようとしたのは,なぜ,キリスト教を否定し,国王や貴族らを惨殺した,この徹底的な革命がフランスにおいて起こったのか,である。トクヴィルは明らかにジャコバン独裁を始めとする民主的「専制」に著しく批判的であり,イギリスにおけるような穏健な自由の体制がどうして生まれなかったのかが多角的に検討される。
フランス貴族は,地方行政司法から手を引き,公的義務なくして,免税特権や地租の徴収といった特権のみを享受するに至った。農民の多くは土地を所有するに至っており(旧領主に地租を支払う必要がある場合もあった模様ではあるが),領主貴族に対する農奴的封建的賦役はほとんどなくなっていた(ドイツとの比較が論じられる)。貴族による地方行政に代わって,王権による支配が地方にもいきわたった。これによりフランスは徹底した中央集権国家となり,その中心たるパリには,貴族,ブルジョア不在地主等が集中するに至った。
これによって,フランスは,地方の中間的自治団体がほとんど消滅した(特に非三部会地方),王権による直接の専制支配の下に,行政等に関わらず私益のみを個々に追求する貴族・僧侶・ブルジョア・人民が相互の連携なく切り離されて存在する国家となった。(これは,もちろん絶対王政が貴族の特権と妥協しつつその権力を強化した結果である。自治都市も同様に自治を失った)強力な官僚的専制が成立したのである。そして,貴族に許された特権,王権が度々行った官職の売り出し(いったん売られたものもまた剥奪され,再度売りに出されることもあった),タイユ税をめぐる紛議(人に対するその富に応じた税であり,その富の認定は恣意的であった。ただし,三部会地方では,土地税として合理的な制度に変えられた場合もあった),王権による道路建設のための賦役等は,農民・民衆の(必ずしも困窮してはいるとは限らない)怒りと憎悪を買った。
一方,中間的団体の不在は,行政司法に関与しない文筆家による文学的政治論が盛んに行われる状況を作り出した。これらの著作は,著しく非現実的で極端であり,無神論が盛んに主張され,受容されたのも,同様の理由による。貴族や僧侶も,特権を享受しつつ,言葉の上で同様の議論を行う場合が少なくなかった。
このような状況の下で,他方,フランスは経済的には繁栄に向かった。王権は,専制ゆえに世論に極めて敏感であり,後見的な人気取りも行った。これにより,フランス人の王権に対する期待が高まると同時にそれが満たされない場合における失望も大きくなった。
王権は,地方において議会制を導入するなどの改革を行ったが,それはかえって混乱を招き,失望を強めた。かくして,革命が勃発するが,しかし,それは,既に完成された専制をそのまま引き継ぎ,自治の訓練を経ていない,文学的政治論に支配された担い手により,残忍な独裁に陥った。
これが大きな叙述の流れであるが,革命の勃発の直前で著作が中断されているため(残部は著者の死亡により完成されなかった)もあって,都市民衆の動向の分析等が欠けている。
以下,若干の興味深い部分を記す。
p。184-188:それまでの章の明快な要約(中央集権に関し),中央集権的官僚制度(次章でその不能率が論じられる),支配に関与しない貴族の経済的特権。
p。212:中央集権とパリの全能。
p。245-6:それぞれ孤立させられた集団・個人,自律の経験を欠いた民衆。
p。309:文筆家たちにおける公的生活の欠如。
p。342-343:重農主義者たちは専制に期待し,これを利用しようとした,その計画は革命により実現される,自由なき合理的な専制。
p。345-347:専制君主の主導による改革の途の可能性。専制君主による革命の方がましであった。
p。359,362:繁栄の中の革命。
p。360:世論の権威。
ところで,中国の王岐山は,なぜ,この書を共産党幹部に勧めているのか(以下2013年当時の状況を前提とする記述であることに注意)。共産党員が当時の貴族階級と同様の運命をたどる可能性があること,上からの革命が必要であること,これを主張しようとしているのか。あるいは逆に文学的政治論を牽制しようとしているのか。
いずれにせよ,この書の分析は,前に読んだ柴田三千雄の分析とはかけ離れており(戦費負担による財政の悪化や食糧危機は論じられていない),ジャコバン独裁の起源を明らかにして,フランス人のために弁明するという動機が強く作用しているとの感を否めない。これをそのまま無批判に受け入れるのは危険であろう。
なお、重農主義者が専制を利用して、自由なき平等を実現しようとしたこと、これが社会主義者たちの主張に似ていることが指摘されている。あるいは、王岐山は、社会のすみずみにわたる専制の存続と知識人弾圧の必要性を学んだのか。
アメリカのデモクラシー
..Date: Sat Aug 12 13:41:37 2006;
トクヴィル;アメリカのデモクラシー第1巻;
1830年代の出版である。アメリカの民主政を法制的に解明した上,その現実的な動きを貴族政と比較しながら明らかにする。
アメリカ民主主義の基礎にタウンシップの強固な自治があることがまず強調される。タウンの自治,公共の利害にかかわる事項に関する民衆の生き生きとした議論,言論の自由に基づく多数の新聞(その大衆迎合性,いわば娯楽としての報道の弊害も正しく指摘されている。),これらが公民として活発な人々を育成しているという。民事裁判における(民事裁判を強調する)陪審制も同様に公民を教育する機能を持っているという(しかし,裁判内容は,法律家である裁判官が実質的に決めているという。陪審制の,民衆参加の側面は,ほとんど評価されていない。)。
このようにして,アメリカ民主政は,長期的には多数者の利益を実現するのに役立つが,一方で,質の悪い政治的指導者(大衆のねたみによる上級公職者の薄給が指摘されているのもおもしろい。一方で,公職者が必ず有給であることを民衆の政治参加にとって極めて重要であると指摘している。これも重要な指摘である。公職者の無償の献身を理想とするかのような一部の言論のばかさかげんを見事に指摘するものというべきであろう。),一時的熱狂,多数の支配による(実質的な)精神の不自由(大衆の精神的支配ということだろう。)などが生まれる。
特に,外交政策においては,民主政の,貴族政に比較した場合における,不利は,明らかだという。
したがって,トクヴィルは,アメリカの民主政がその地政学的孤立に大きく負っていることを指摘し,ヨーロッパ大陸においてはこのような民主政はひとたまりもなく敗北するであろうという。
フランス革命後のヨーロッパ戦争にアメリカが介入しなかったのは,ジョージ・ワシントン?という賢明な指導者がたまたまいたからであって,民主政の一般的傾向としては,おそらく戦争介入に至ったであろう,そして,アメリカは大きな損害を被ったであろうというのである。
アメリカ民主政の条件としてもう一つ挙げられているのは,アメリカの豊かさ(フロンティアの存在),アメリカ人民の均質性である。後半はやや繰り返しが多いが,多数の横暴をどのようにして防止できるのか(残念ながら言論の自由を始めとする少数者の人権の保障の観点は,読んだ限りでは,目につかなかった。どこかで指摘されているのか。最終的結論を得るには,再読の必要あり。),貴族政と比較してどのような点が不利なのか,などが様々な側面から検討される。
注目されるのは,アメリカの司法,事件を通じた法令審査の機能が高く評価されていること,貴族同様に長期的・大局的利益を安定的に継続して追及し得る勢力として法律家を挙げていることである。法律家すなわち新たな貴族ということか。この点は,極めて興味深い。フランス革命における法服貴族の役割とともに研究に値する。
もっと早く読むべき書であった。おそらくこのような政治的叡智は耳が痛いものであるため,言論界において正当に評価されてこなかった,したがって,一部の者が引用するのみで,広く引用される文献ではなかった,こういった事情もあったものと思われる。