オルテガ・イ・ガセット 大衆の反逆
..Date: 2011.06.06;
オルテガ・イ・ガセット(1883-1955);大衆の反逆;
多義的で難解な書である。その文章の表面的容易さにもかかわらず,含意は深い。(いくつか翻訳があるが、このノートはちくま学芸文庫、神吉敬三訳による。)
著者は,人すなわち社会的動物が作り出す共同体,国家には,貴族的精神を持った者,すなわち著者のいう「貴族」(世襲貴族を意味するものではない。あくまでも精神が問題とされている。したがって,それは社会的階級とも直接の関連を持たない。大衆人の典型として指摘されているのは,甘やかされた中産階級である。)と,その指導に従う大衆人あるいは凡庸人が存在し,少数者である前者が共同体の目標を立て,それによって大衆人を導くことによってのみ,国家が存続し,その目標を達成できるという。
絶えず自己の現在を超えた完成を目指し,そのために果たすべき義務をいとわない資質,すなわち国家経営に必要な総合及び想像と計画の能力は,本来少数者にしか存し得ない。ところが,19世紀の発展(ヨーロッパの人口は,1億8千万を超えない状態から一挙に4億6千万に増加した。),その自由主義と「技術」の発展は,大衆に政治参加の機会と物質的な充足とその永遠性への期待を与えた(著者は,今日の風景を大衆の蝟集・充満であるという)。
大衆は,過去におけるように,日々の欠乏と格闘し,生存と平和を求めて,ひたすら貴族の指導に服従するしかない状態から脱し,何らの義務をも負わずに,今日の状態が続き,与え続けられることのみを望む態度を改めることなしに,国家を運営できるという幻想を抱くに至った。大衆とは,生まれながらに不自由と欠乏を知らない「甘やかされた坊ちゃん」であり,それが,その不完全性を自覚せずに既存の公的権力(public power)に挑む。これが「大衆の反逆」であり,その例としては,ボリシェビズムとファシズムが挙げられている。
大衆人は,「文明」形成の歴史的経過,そこにおける法と習慣の重要性,自由主義の歴史的意義とそこからもはや後退し得ないこと,科学的発見と技術の発展の歴史,それらを無視して,この状態からあの状態へ容易に飛び移ることができると錯覚する。<現在の日本では,更に何らかの生産や管理に携った経験すらない政治家が多数存在する>これは,科学者も例外ではなく,科学における分業の進展のために,科学者は,細分化された分野において<クーンのいう通常科学の>研究に従事し,全体的視野と総合の能力(科学の革命的な発展に必要な要素)を欠いているという。しかも,このような専門家は,一分野における能力の保有に基づいて,全分野についても能力があると錯覚する傾向を強く持っている。
本書は,1930年に発刊されているが,その時点で,大衆人が公的権力を掌握していると指摘されている。それゆえに,当時のヨーロッパ諸国はその日暮らしの政治を免れなかった。そのほか,ローマにおけるシーザーの役割(都市国家から世界国家へ),国民国家の意義(統合が国民を作り出す。逆ではない),当時のヨーロッパの根本的課題(ヨーロッパの統合こそが経済的・社会的課題となっている),これらに関する洞察も鋭い。
著者は,このような大衆人の支配を20世紀ヨーロッパにおける諸力によって導かれる,言わば必然的なものとして描き出すが,「貴族」の復権については触れるところがない。それは,どのように可能なのか。