フレーリッヒ 『ローザ・ルクセンブルク』
篠原一のドイツ革命史にも引用されている。名著である。ルクセンブルクの政治活動を歴史状況の中で分析し,叙述する。ルクセンブルクは,社会主義が歴史的必然であると主張し,修正主義に反対した。しかし,一方で暴力的独裁に傾斜するボルシェビキ革命の方法(方法への反対と内容への反対の異同についてはさておく)にも反対した。社会主義が現実的課題になっていなかった当時(そして今も)において,社会主義革命が差し迫っていると信じた(あるいは信じようとした)。戦術的には冷静であり,一揆主義的な蜂起に反対した。一言で言えば,社会主義革命なるものが現実的課題であろうはずがない状況の下で,その革命を実現しようとした悲劇的人物ということができよう。著者のFroelichは,極めて興味深い人物である。晩年は,社会主義と独裁の問題を研究し,草稿を残したという。その内容は知らないが,彼もまた,この悲劇を認識し,その解決がどこかにないかを探し求めたのであろう。「歴史的必然」が空想であることに気づいてか,あるいは気づかないままに。追記:140510,本書は,再刊されている。本日ジュンク堂で見た。
ローザ・ルクセンブルク 『ロシア革命論』 選集4所収 1918年 清水幾太郎訳
社会主義(その建設期からの)における民主主義と自由の重要性(大衆の成熟とその自発的な行動によってこそ社会主義が実現する)を説き,憲法制定会議の解散を批判し,議会の構成が革命前の選挙によって決定されたことを考慮するとしても,解散し,かつ,再選挙も行わないのは許されることではないという。また,農民に対する分割地付与は,農民を味方に付けるためのやむを得ない措置であったとはいえ,社会主義への大きな障害を作り出したという。ローザによれば,土地の国有化と大規模経営の維持発展こそが社会主義を目指して採るべき政策である。更に「民族自決権」の主張は,階級の上に民族を置くものであって,諸民族を味方に付けるために採られた政策であろうが,実際には「ブルジョア」に利用されるものとなったと説く。これらの主張にもかかわらず,ローザは,レーニンらの選択を,少なくともその多くを,やむを得ないものとして許容し,他方で,それらを一般化し,教条とすることに反対する。フランス革命も,イギリス革命も,革命過程がいったん始まると,大衆の急進化が不可避であり,それに従った断固たる政策を採らない限り,反革命に勝利することはできないというのである。
社会主義的民主主義を論じる部分は,限りなく美しい。自由と民主主義の抑圧が「一握りの政治家の独裁」を意味し,「こういう状態は,暗殺とか人質の射殺とか,公共生活の野蛮化を生まざるを得ないであろう」という。しかし,ロシア革命の「本質」は,このような「偶然的」要素から区別されなければならないというのである。混乱した複雑な主張である。結局のところ,「社会主義」という経済機構が実現できない状況の下で,そのユートピアを追い求めるところからすべての困難が生じていること,その認識がないことから議論の混乱が生じているのである。
なお,同選集所収のローザのその他の著作(演説を含む)も眺めるが,そのときどきの政治的立場を宣明するプロパガンダにとどまっており,精読する価値は乏しいと思われた。もっとも,殺害される直前に書かれたと思われるものには,革命過程においてはときどきの敗北が存在することを述べ,しかも,それは革命における大衆の急進化によって避けられない行動の必然的結果であるという。「ここにあらわれる矛盾―すなわち課題の先鋭化と,課題解決のための諸前提の不備とのあいだの矛盾―から革命の発展の初期の段階においては,個々の革命闘争が形式的には敗北をもって終わる,ということが起こる。しかし革命は,一連の「敗北」によってのみ,その究極の勝利が準備されうるものなのだ。」(p.185),この引用に現れた,時代の限界を超えるユートピアの追求の肯定,それを求める大衆の選択の肯定,これらは,ローザの資質を物語るものであると同時に,歴史的悲劇を生み出すものであった。その言葉と思想は,自らの死を含む巨大な犠牲を捧げながら,その「理想」を達成できず,その限界を専制によって超えようとする者たちは、ディストピアを生み出した。