シモーヌ・ヴェイユ Simone Weil (1909-1943)
自由と社会的抑圧 (1934年)
July 26, 2023 ;
シモーヌ・ヴェイユ;
自由と社会的抑圧、冨原眞弓訳;
シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)が1934年に完成させた、マルクス主義批判と自由に関する考察を中心とする著作である。最晩年の『根をもつこと』を除くと、唯一のまとまった著作であると思われる。ヴェイユはフランスを去る際に、この原稿の保管を友人に託す一方で、母に複写を頼み、その保存に努めた(訳者解説)。ヴェイユの見解は、終生変わらなかったと評価できる。
ソビエト社会主義は、特権的官僚層が支配する国家資本主義にほかならない。
マルクスは、資本主義の経済機構を明らかにし、自然との物質的代謝過程によって社会構造が変化するとの、歴史の自然史的過程を発見した。ヴェイユによれば、マルクスはこの2つを成し遂げた点において評価されるが、それを過去の具体的な歴史過程の分析と未来の革命の具体的展望にまで発展させ得なかった。
マルクスの所説は、進化論の発展にたとえて言えば、生物は環境への適応の方向に定向的に進化するとのラマルク的な考察にとどまり、ダーウィンが発見したような、具体的な発展の機序を解明しなかった。その「革命」は、ヘーゲルの絶対精神を生産の物質的過程に置き換えたのみの、生産力が無限に発展するに連れて生産関係が変化するとの内容のものであり、一つの信仰にすぎない。
このようにヴェイユは、マルクスをも批判し、共産主義のユートピアが、物質的生産労働の著しい軽減と分業の消滅、国内及び国際的な競争の消滅などに依存すること、そして、それらの条件が予見し得る将来、実現する見込みがないことを述べる。これまでの革命なるものは、いずれも旧制度の中において新たな生産組織形態(私見の用語。生産様式なる用語も一般に用いられるが、機械制・工場制大工業などを指す用語として用いることにする)が発展したことによって起こった。隷属的な階級が反乱によって権力を掌握する革命は、ヴェイユによれば、かつて生じたことはなかった。隷属階級は、まさにその隷属状態によって自由を奪われ、未来を構想して実現する能力を持たないからである。
現在の資本主義における支配的生産組織形態、すなわち、機械制・工場制大工業は、生産における管理すなわち支配と、自由な思考によるのではなく、隷属によって行われる機械的反復的な単純労働を生む。このような生産組織形態を残したままの革命は、必然的に党官僚層による支配と、その他人民の隷属に終わらざるを得ない。しかも、ロシア革命は、このような生産組織形態を農業にも強制的に及ぼした。
抑圧は生産組織形態によって生じる、このヴェイユの批判は、根源的であり、当然のことに思えるにもかかわらず、「マルクス主義者」たちがなぜか真剣に論じなかったものである。
本書には、冒頭に、スピノザからの引用として「人間にかかわる事象においては、笑わず、泣かず、憤らず、ただ理解せよ」(国家論1章4節)が掲げられている。ヴェイユは、正面から決定論を主張してはいないが、生産労働が自然との代謝過程の一環として自然によって強制されていることを論じ、人間の「自由」は、このような必然を理解し、物質の変化に関わる法則的連関を意識しつつ、物質に働きかけて生産し、その成果をもって自己及び他者自体の生産・再生産に資することにあると主張する。現代の生産組織形態及びこれを土台とする複雑な分業と交換の体系は、このような自由の余地をますます狭め、科学技術及び芸術すら、自由な思考を欠いた、機械的なものに置き換えられつつある。この指摘は、オルテガの、大衆をめぐる議論にも通じるものである。
それでは、今何が可能なのか。ヴェイユの答えは、集団の力に抗して、個の領域を、孤立を恐れずに守り、拡大すること、である。これ以上具体的なものは、本書には見当たらない。
アーレント(1906-1975)の答えは、政治的な自由と参加の拡大である。アーレントの『革命について』は、1959年の講演に基づき1963年に刊行されている。ヴェイユの議論もおそらく参照されているのであろう。「階級闘争」や「社会主義・共産主義」などの幻想的主張を離れた、憲法的自由と統治への参加の拡大に向けられた人間の集団的活動、それがいかにして可能なのか。それこそが現代の課題である。
ヴェイユ、根をもつこと、上、冨原眞弓訳注163によると、アーレントは1958年刊行の『人間の条件』の第3章、「労働」の章において、ヴェイユの「労働の条件」を引用して、これを労働について偏見と感傷なく論じたものとして称賛した。ヴェイユは、機械制・工場制大工業を典型とする資本制生産組織形態の下での労働における自由の喪失を論じ、マルクスの所説のユートピア性を弾劾した。アーレントは確かにヴェイユの議論の上に立ってその思考を深めているのである。
アーレントの参加の拡大には、さらに、生産組織形態における隷属の軽減と参加の拡大、そして、ヴェイユの意味するところに従った「自由」の意識的拡大が付け加えられるべきであろう。それは政治参加の拡大の前提であり、さらに言えば、その一部でもある。
「芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」(宮澤賢治「農民芸術概論綱要」)。
しかし、課題の困難さは計り知れない。
なお、本書の出版の経過は歴史の移り変わりをそのまま表している。すなわち、原著出版はスターリン死後の1955年、本翻訳書の出版はソビエト連邦崩壊後の2005年である。ハンナ・アーレントとともに、その言説の真価は、最近ようやく評価され始めたのである。
それにしても、サルトルが、ヴェイユ及びカミュの議論にもかかわらず共産主義に接近した理由は何なのだろうか。それゆえに今やその思想は顧みられないものとなった。おそらく、革命という「労働者のアヘン」(ヴェイユ、重力と恩寵)に、その熱狂に、身をゆだねる、その衝動を、あるいは、もっとあからさまに言えば、その英雄となる欲望を批判的に自覚し、斥けることができなかった、そのことによるのであろう。
重力と恩寵 (冨原眞弓訳、岩波文庫)
July 30, 2023 ;
シモーヌ・ヴェイユ;
重力と恩寵;
ヴェイユが1942年までに雑記帳(カイエ)に記した断章をまとめたもの。箴言的な記述の積み重ねであり、眺めるにとどめる。以下は、その感想を私見によって記すものである。
頻繁に用いられる「重力」とは、自然との物質的代謝過程において必然的に現れる労働の強制、生産組織形態における人の人に対する支配、それに基づく「巨獣」としての社会の個人に対する支配など、人がその生において投げ込まれる不条理の世界において必然として働きかけてくるものを指す。
ヴェイユは、明言しないものの、スピノザの決定論に深く影響されている。ファシズムと共産主義、2つの全体主義の力は圧倒的であり、革命は「労働者のアヘン」にすぎない。
ヴェイユは、無神論的唯物論は必然的に革命を目指すという(295)。この世の善を未来にもたらすことを信じざるを得ないからであり、その仲介者が指導者と呼ばれる、例えばレーニンのように。無神論的唯物論に対立する概念は何なのか。それはスピノザ的唯物論なのだろうか。
生産力の無限の発展による理想社会の実現を非現実的なものとして断念し、目前の2つの全体主義に、諸集団の力、重力の一つの形態に、抗して生きるヴェイユには、光としての恩寵が必要だった。
それは、『自由と社会的抑圧』の文脈に即して考えれば、必然として迫ってくる巨大な力の中で決定されつつ決定する自らが、必然としての重力を明確に意識して、したがって、自由を保ちつつ生きること、その力を与えるものである。それは神秘的な啓示なのか。本書を読む限りは、それは宗教的な啓示として理解されていると判断するしかない。しかし、ヴェイユの「神秘主義」は希望のない状況の下で決然として行動する、その力を与えるものであった、そのことは確かであろう。
根をもつこと
July 30, 2023 ; シモーヌ・ヴェイユ;
根をもつこと; 冨原眞弓訳。
1942年から1943年の死までの間にロンドンで書かれた。内容は、歴史的事実の評価等を含めた多岐にわたるものであり、簡単には要約できない。アランは、この書を「スピノザの誉れ」であり、共産主義に対立する意味における「社会主義」を論じた「唯一まっとうな書」であると評価した(訳者解説)。
「根をもつこと」とは、私見によって要約するならば、過去から未来につながる人の共同体に帰属し、これに参加して貢献する意識を自覚し、その喜びに生きることである。工場における労働、ファシズムに捉えられた人々と、自らの利害にのみ拘泥し、フランスのために戦おうとしないフランスの人々、これらの経験から、ヴェイユは到るところでこのような「根」が抜かれている状況、すなわち「根こぎ」の状況にあることを感じ取る。フランスのために戦うことを忌避する「平和主義」も、国家の資源の無尽蔵性を前提とした物乞いとしての要求も、このような根こぎによって生まれた現象である。
マルクス主義は「マルクス主義の名で知られる曖昧かつ大なり小なり誤った概念の混淆物」であり、「それはマルクス以来、その生成に関与してきたのが凡庸なブルジョア・インテリだけで、しかも労働者にとってはまったく異質の養分であって同化吸収のしようもなく、そのうえ栄養価はゼロという代物である。なぜならマルクスの著作に含まれていた真理はほぼすべて、この混淆物から抜きとられてしまったからだ。ときには、さらに、質の落ちる科学的大衆化という上塗りまでほどこされた。」(上69)。
ヴェイユは、このような状況において「根づき」をもたらすためにロンドンの自由フランスが何をなすべきかを論じる。自由フランスはフランス国内において何らの権力を有しない。それゆえにこそ、根づきをもたらす霊感をフランス人に伝えること、情報活動と宣伝活動を通して根づきの霊性を呼び覚ますこと、その使命を帯びることができるという。この部分には具体的な提言も含まれている。
なお、言論の自由を論じる部分では、言論と行動を区別し、後者について制約を課し得ることを論じており、その制約は相当に広範である。フランスの、現在にもつながる、司法の独立をも含む三権分立に拠って立つ立憲主義の思想の欠如を感じさせる。
また、国防に関しては、良心的兵役拒否を含む、義務兵役制を説く。
訳者解説は、この複雑な著作を要約しており、有用ではあるが、「科学」に反発する、ポスト・モダンの影響を感じさせるものであり、ヴェイユの真意をとらえているのかどうかについては注意を要する。なお、その注は労作であり、上巻163の注によって、アーレントへの影響を知った(自由と社会的抑圧に関するノート参照)。
Simone Weil、シモーヌ・ヴェイユ ペンギン評伝双書、Francine du Plessix Gray著
December 9, 2023 ;
フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ; シモーヌ・ヴェイユ ペンギン評伝双書;
ヴェイユは豊かなユダヤ人医師の家庭に生まれた。生涯、摂食障害と頭痛を病んだ。
思想の上ではアラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)とスヴァーリンに大きな影響を受け、後者からは、ソビエト連邦における自由の抑圧の実情を学んだ。ソビエトはフランスの労働運動においてさえ当時大きな権威を持ち、その粛清と形ばかりの裁判に対してもあえて目をつぶる傾向が強かったが、ヴェイユは断固これを拒否し、一時自宅に隠れていたトロツキーとは、クロンシュタット反乱の過酷な鎮圧等をめぐって激しく議論した。トロツキーは、スターリンの、労働者・農民を犠牲にして強蓄積を目指す政策を支持し、政治政策についてのみスターリンに反対する旨を述べたという。
スペイン戦争においては、ジョージ・オーウェルと同じく、アナーキスト軍に参加したが、出撃前に、極度の近視のため地上に置かれた鍋の油に足を踏み入れて火傷を負い、これに参加できなかった。その出撃では多くの者が戦死した。共和国軍によるフランコ軍少年兵士捕虜の殺害等、両陣営ともに残虐行為を行っている事実を知り、共和国軍にも批判的な態度を堅持した。
ナチス・ドイツに対しては、当初、極端な非戦論を唱え、チェンバレンらの宥和政策にも賛成したが、後にこれを後悔し、ドイツとの戦争に否定的な見解を厳しく批判した。
フランスの降伏に伴い、マルセイユに逃げ、ヴィシー政権の下でレジスタンス活動にも関与しつつ(その詳細は明らかでない)、農業労働と思索の日々を送った。カタリ派やサンスクリットを研究し、カトリックへの入信を真剣に考えて、ペラン神父との間でカトリック神学に関する議論を続けた。
両親とともにアメリカ合衆国ヴィザを得て、アメリカに渡るが、ロンドンの亡命政権「自由フランス」への参加を熱望し、ロンドンに赴く。ロンドンでは、パラシュート降下によってフランスに入り、抵抗運動に参加することを希望するが、容れられず、「根をもつこと」等の著作に没頭する。
「根をもつこと」は、1939年までの非戦論に対する深い後悔に発して、当時のフランス社会における人々の意識、それを形成した政党やメディアの在り方に対する批判に及び、このような誤りを再び起こさせないための政治社会制度の構想に至る著作である。権利に対する義務の強調、集団の力に対する不信、これらが論述の基調となっている。
マルク・ブロック「奇妙な敗北」にも通じる考え方であるが、しかし、その非現実性は否定できない。人とその集団は、利害に突き動かされて行動する。それを抑制する「制度」なしには、これを制約することはできないが、その制度もまた人々の現実の行動によって造り上げなければならない。おそらくヴェイユは、そのことを心の痛みとともに認識しつつ、この書を書かなければならなかった。陪審裁判によるソクラテスの理不尽な処刑は、プラトンを絶望させ、アテナイ民主政の批判者とした。同じように、ナチス・ドイツによる戦争とホロコーストは、ヴェイユの思想を大きく変えたのである。
なお、ヴェイユのカトリックへの入信を妨げたのは、旧約の神の残虐性とユダヤの選民思想であった。ヴェイユにとって、カトリック神学はむしろユダヤの神を肯定する点において受け入れ難いものだった。
アランは早い時期にヴェイユに大きな影響を与えた。その教えの一つは、常に書き続けることであったという。ヴェイユはその教えを忠実に守り、書き続けて死んだ。
アラン(シモーヌ・ヴェイユの師) 裁かれた戦争
August 9, 2023 ; アラン(アラン(Alain)ことエミール=オーギュスト・シャルティエ(フランス語:Émile-Auguste Chartier、1868年3月3日 – 1951年6月2日));
裁かれた戦争;
著者は、第1次世界大戦に一兵卒として従軍し(砲兵だったという)、1921年に本書を著した。著者はその後もこれに手を加え、1936年に翻訳の原著が発表された。
戦争が利害によって(例えば、帝国主義的独占資本の利益のために)生じるという考え方を否定し、人の情念、すなわち怒りの感情によって生じることを説く。
しかしそれでも、戦争は利害によって、より正確に言えば、人々のそれぞれの利益を求める行動の総体によって生じるというべきだろう。もちろん、その利益には、名声、権威、嫉妬や怒り等の感情の満足も含まれる。ただし、アランがおそらく念頭に置いているとおり、それは「階級的利害」などではない、そのことは確かである。
また、戦争が直接には怒りの感情によって大きく決定されることも確かな事実である。それは、長期的・全体的な利害の合理的な計算に基づくものではない。それにもかかわらず、戦争は、大衆を動員できることによって初めて可能になるのであり、そこには「世論」をも含む、大衆の怒りの発露がある。
アランは、決定論を宿命論であると批判し(ただし、宿命論でない決定論が存在することを否定するものではないようにも感じられる。そうでなければ、ヴェイユをスピノザの誉れと評価することはなかったであろう)、戦争に「否」と言う、「人類」の間の「慈愛」に基づく態度を採ることを人々に求める。著者がこの書を一つの宣伝の書と考えているのであれば、それはそれなりに理解できる。しかし、そんなことで戦争が阻止できるであろうか。思考せよ、否と言え、それで大衆が動くものであれば、これほどたやすいことはない。アランの真意を知りたい。戦争を現実に阻止する、そのための行動はどうあるべきか。
本書では、著者の従軍経験に基づき、軍隊が人の思考を奪い、機械あるいは奴隷として命令に服従し、戦闘に従事するように仕立て上げていく仕組みが詳しく論じられている。そのような奴隷がどのような感情によって機械と化していくのか、その過程を描く著者の筆致は鋭い。
また、ヴェルサイユ条約が復讐心の結果としてドイツに過酷な賠償を課し、戦争の「継続」を招くものとなっていることを指摘していることが注目される。
なお、アンドレ・モーロワは、アランの教えを受けており、「アラン」なる書を著しているとのことである。これを読めば、何かしら上記の謎が解けるのかもしれない。
近代工業製品の醜さを指摘する部分や法による強制を批判する部分には、アランのポスト・モダニズム的態度が表れており、これがその思想の限界の一つとなっていることが推測される。複雑で巨大な共同体、さらには共同体間共同体を現実にどのように制御するのか、それが問題なのである。