シュテファン・ツヴァイク、昨日の世界、Stefan Zweig, The World of Yesterday

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シュテファン・ツヴァイク、昨日の世界

2025.01.24;

シュテファン・ツヴァイク; 昨日の世界;

島崎康の同題名の小説を読んだことをきっかけに読む。もっと早く読むべきだった。2つの世界大戦を経験したオーストリア知識人の、率直な、しかも、驚くべき観察力と表現力を伴った、自伝である。

ツヴァイクは、1881年、ウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。父は、織物工場を営む堅実な産業資本家であった。回想は、第1次大戦に至る平和で安定し豊かなウィーンの描写で始まる。

オーストリア・ハンガリー帝国という多民族国家の中で、ユダヤ人は、さしたる差別を受けることもなく、豊かに平和に暮らしていた。ギムナジウムにおける殺伐とした教育を経て、しかし、ギリシア語・ラテン語及びその他の外国語の豊富な知識を得て、また、学友とともに文学への志を強めて、ツヴァイクは、文学者を目指す。

ウィーン大学においても、ほとんど授業に参加せず、読書と創作に励んだ。豊かなユダヤ人の間では、知的職業への憧れが、その名誉の追求が重んじられ、ツヴァイクは、家族の期待を受けて、作家への道を妨げられることなく、進むことができた。

第1次大戦は、そのヨーロッパの安定を破壊した。第1次大戦に至る日々の叙述は、戦争がどのように突然人々の下にやってくるかをまざまざと示している。ツヴァイクは、ロマン・ロランらとともに、諸国民の和解のために活動した。ツヴァイクによれば、第1次世界大戦前は、教養や文化に対する共通の尊敬がまだ残っており、それゆえに文学者が、限界があるとは言え、影響力を持ち得たのだという。戦争はこのような教養への、文化への憧れと尊敬を打ち砕くものであったが、それでもなお、その影響は残っていた。

そして、戦後の経済的困窮とインフレーション、友人ラーテナウらによる建直しへの努力、ラーテナウの暗殺、ヒトラーの台頭、ロンドンへの亡命、オーストリア併合、これらが、ヨーロッパの統一と平和という戦後の理想を打ち砕いていく。

次々と居所を変えたツヴァイクは、1942年、ブラジルで妻とともに自殺した。

オーストリア併合に関する部分は、ナチスがどのように浸透したか、どのような残虐な迫害が行われたかに関する貴重な証言である。併合に至る過程での国内の政治的対立、ゼネラル・ストライキの暴力的弾圧(それはツヴァイク自身もよく知らない間に、一般の市民の目に触れない形で行われた)も記されている。その歴史は再び東アジアで繰り返されつつあるのだろうか。

なお、自身による伝記小説の創作方法に触れる部分があり、書簡等のあらゆる入手可能な資料を読んだ上で、一度流れ出るままに書き下し、その後にそれを可能な限り簡潔なものとするという方法が記されている。切り詰めることについては全く躊躇がないと述べている点は、創作に携わる者の心得として重要である。

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